| (76)川奈コースの微妙な起伏が若いプロに技術を伝授した |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2020/05/11)

伊東の川奈ホテルゴルフコースの設計者は大谷光明と英国人のチャールズ・アリソンである。今日のゴルフ場建設は機械力をフルに活用するので、大きな起伏も、アッという間に平坦になってしまう。文明の利器の恩恵だ。しかし戦前のゴルフ場建設は機械力に頼ることなく人的な労力で作業が進められていた。そこには機械力工事には見られない微妙なコース表面の変化が残り、この起伏がプレーに影響した。
こうしたフェアウェー表面の微妙な変化に敏感だったのは川奈育ちのプロでは石井富士夫と内田繁だろう。
石井は満20歳前にプロの資格を取得している。川奈から府中CCに乞われて移籍し、昭和40年に24歳の若さで関東プロを制している。移籍先のゴルフククラブでは料理家の田村魚菜さんが生徒で、ご子息の『府中くん』の名づけ親だったそうでこれが自慢の種だった。
川奈育ちのプロには石井、内田性が多いが、内田姓の代表的な名手には内田繁がいる。石井と同様に川奈で学んだ繊細な技を発揮して1970(昭和45年)代の中部オープンに三度の優勝経験があり、広野出身の橘田規、相模原出身の石井裕士らと中京地区プロゴルフ界の牽引役を担っていた。ニックネームは本名が繁であることから“しー坊”。多くのゴルファーに親しまれた。現役を退き、現在横浜に在住で、ご子息は日本航空のパイロットだそうだ。両者は川奈育ちのプロらしく礼儀作法に厳しく、川奈で身に着けた多彩な技術を駆使して多くの先輩に劣らぬ活躍をした。
《写真・川奈出身プロの代表的な存在・石井富士夫》
|