| (51)半分のカップの会〜大倉流のユーモアで藤原義江を表彰 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2019/07/13)

大倉喜七郎のバックアップで誕生した音楽関係者が集う『楽団ゴルフ倶楽部』の第1回競技会が昭和10年の7月、川奈リンクスで開かれた。人気者の名テナー藤原義江が健闘して前半を38というスコアで回った。優勝間違いなしと見られていたが、後半は58も叩いて優勝から見放された。藤原に同情したのは大倉で、趣向を凝らした“藤原の38を称える半分カップの会”を東京で開いた。
宴会場の広間は半分に仕切られ、テーブルも半分の三日月型。料理の盛り付けも半分。注がれるビールも半分。参列者が祝辞を述べると半分でストップの声がかかった。笑い声は『ワッハハハ・・・・』ではなく『ワッハ』で終わりとなる。
この日、会の司会役は無声映画の弁士で有名な松井翠声が担当した。上半分は洋装で下は袴といういで立ちだった。
ゴルフ界から大谷光明、鍋島直泰、野村駿吉、赤星四郎、岡庄五という重鎮が出席した。参列者の一人はコップ半分のビールを指してボーイに『誰かの飲みかけではないか』と怒ると、出されたお茶も半分だった。
かくして大倉のユーモアたっぷりの宴会が終盤になると、大倉は半分のカップを藤原に、残る半分をあき夫人に渡しながら『ベターハーフは夫人へ』と声を掛けた。あき夫人はこの時、奇しくも38歳だった。
終宴の挨拶で大倉は『私はゴルフの練習はプロに教わってやっています。プロがいうには、前半のバックスウィングは大変良いそうです。後半のダウンスウィングのことをお知らせしたいのですが、今晩はなんでも半分だそうで、お話できないのが残念です』と巧妙な落ちで締めくくった。
《写真・半分の会で藤原夫妻に囲まれる大倉喜七郎(中央)》
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