| (69)増さんのコース設計とゴルフ場運営 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2020/03/02)

川奈出身の山本増二郎は知り合いのゴルフ仲間やゴルフ倶楽部のメンバーたちから『増さん』の愛称で親しまれた。長年勤めた我孫子ゴルフ倶楽部(GC)を後に、乞われて埼玉県の狭山ゴルフ・クラブ(GC)の所属になり、オーナーの小寺酉二を支えた。山本のゴルフ界とのご縁は昭和元年に遡る。山本は当初、川奈ホテルの建設事務所に勤務していた。ホテルのゴルフ場がゴルフの専門家を必要としたことから2年後、東京ゴルフ倶楽部の駒沢コースに出向き、ゴルフ履修のために安田幸吉の指導を受けた。ここで5年間修行し、1931(昭和6)年に我孫子GCの創設とともに正式にプロとして迎えられた。
プロとしての競技成績は特筆するものはないが、関東プロ協会の月例などで数多く優勝の経験もある。
増さんのことで忘れられないのは、彼が関東プロゴルフ協会の会長時分、会長としてマスターズトーナメントに招かれた時のこと。謹厳実直な増さんは、英文のメッセージを携え現地に乗り込んだ。マスターズの委員会主催の歓迎パーティーで英文のメッセージにカタカナのルビをふり、たどたどしい英語のメッセージを読み上げ、やんやの拍手、喝采を浴びたことがある。
何事にも挑戦するのが増さんの身上だが、カタカナでルビをふった山本流英文発音のメッセージは、果たして何人が理解してくれただろうか。
また、増さんの業績として故郷の静岡県伊東市萩に18ホールのコースを設計(伊東カントリークラブ)したことは、増さんの長いゴルフ生活の証だろう。同クラブは今季、1934(昭和9)年創始の関東クラブ対抗競技に静岡県を代表して初出場した。結果は出場49チーム中、19位という好成績を収めたのは特筆ものだ。
《写真・元気な頃の増さん(右から2人)》
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