| (4)日本人が創ったゴルフ場の出資者は、経済界牽引の大物ぞろい |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/08/02)

日銀の井上準之助は、ニューヨークでの勤務を終え、帰国したのは1912(明治45)年だが、日銀には戻らず横浜正金銀行の副頭取に就任した。その間は時間的にゆとりがあったらしく、滞米中に親しんだゴルフが忘れられず根岸のゴルフ場(NRCGA)を再三訪れている。ここで社交団体である東京倶楽部の会員との交流が始まった。井上と同郷の荒川新十郎(横浜生糸社長)の紹介によるものだった。東京倶楽部とは当時、東京・虎ノ門に本拠を置く政財界の名士が集う社交団体。1884(明治17)年の創立である。
その頃の日本は欧米との不平等条約の改正という重要な国際問題に直面していた。そんな矢先に英国を範としたジェントルマンクラブとして創立され、国際交際親善の推進、会員相互の親睦と知識の交流を目的に掲げていて、日本の国際化の推進役を果たしている。

さて、井上は東京ゴルフ倶楽部設立の動きの発端を担っていたが、ゴルフ倶楽部の設立資金提供者と会員構成は東京倶楽部のメンバーが中心だった。会員の中には駐日英米両大使を始め外国人が多かったので、倶楽部の定款、年次報告、会員名簿はすべて英文で表記されていた。
ゴルフ場建設のために井上はまず、出資団体である東京ゴルフ会を立ち上げ、明治時代の終わりから大正の初めにかけて第1回目の出資者を募った。出資金は1口1000円。井上以下30人の応募があり、その後追加して出資者を募ったところ、17人の応募があった。当時の金額1000円といえば今日なら1億円相当だろうか。主な出資者は岩崎小弥太、今村繁三、森村開作、大倉和親、樺山愛輔、村井貞之助、大倉喜七郎、高木喜寛、三井八郎右衛門らで、日本の経済界を代表する大物ぞろいだった。
《写真・TGCのコースと主な出資者〜樺山愛輔ほか》
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