| (17)大倉財閥のゴルフ場建設(1) |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/10/10)

東海道線に丹那トンネルが開通したのは昭和9年のこと。それ以前の東海道線は御殿場を経由していた。だから東京から見ると伊東は遠かった。
『伊東に赴くには国府津で下車し、船を利用していた』(北岡丈人氏)そうだが、温暖な気候で知られる伊東が、日本のゴルフのメッカとなるのは大倉喜七郎がホテルとゴルフ場造りに乗り出して以来のことだ。
大倉喜七郎はもともとゴルフが好きで、東京ゴルフ倶楽部の会員だった。とりわけ、東京GCが埼玉県の朝霞にあった時分、よく足を運んだ。東京GCのプロだった橋本秀次郎(平成30年没)は大倉の思い出をこう話していた。橋本は朝霞時代に東京GCの職員として雇用された。最初はドアボーイを務めたが、後にプロになった。橋本の思い出話。
『朝霞時代よくお見えになった。プレーが終わると小走りに、小さなボストンバッグを片手に車に向かった。車に乗ったと思ったら、すぐ戻ってこられた。小さなバッグを持っておられたが、玄関脇にこれを置いて車に戻ると“おい。橋本。バッグを忘れた”と車の中から叫ぶのです』
そのしぐさを橋本はドアの横で一部始終を見ていた。
『畏まりました』とバッグを車に届けると、大倉は橋本に心づけをそっと渡した。
『バッグを届けると大倉さんはポケットから祝儀袋を取り出して渡してくれました。真新しい1円札が入っていた』(橋本)
祝儀袋の中には手の切れるような1円札が入っていたそうだ。橋本は謹厳実直な青年だったので、大倉は橋本をことさらに可愛がった。橋本は晩年、大倉の思い出をこう話していたが、洒落た大倉の粋な心づけの仕草だった。
《写真・駒沢会のメンバーと橋本さん=前列の右端》
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