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(3)日本のゴルフとゴルフ場 番組名:伊豆伊東のゴルフ物語

更新日(2018/08/01)

  日本のゴルフは100年を越える長い歴史を刻んだが、近代ゴルフが初めて日本の地に根をおろしたのは1901(明治34)年だった。神戸在住の英国人で貿易商のアーサー・H・グルームが神戸・六甲山上の別荘の庭に4ホールの私的なコースを造った。コースを造ったグルームは1846年、ロンドンで生まれ、1868(明治元)年に長崎にあったグラバー商会の一員として来日している。また六甲の開祖としても知られた人物だ。長崎を経由して神戸に住むようになったといわれるが、商売はお茶を扱っていたそうだ。グラバー商会(トーマス・グラバー)といえば、三菱とは縁の深い貿易商社である。

  外国との貿易の窓口になっていた長崎の雲仙には外国人のためのゴルフコースがあった。横浜の根岸(根岸の競馬場)にもあった。

  しかしゴルフ場が建設されても日本では舶来スポーツというだけのことで普及には至らず、日本人のゴルファーが育ったという話は聞かない。

  日本人のための最初のゴルフ場は1913(大正2)年創設の東京ゴルフ倶楽部(現在は埼玉県の狭山市にある)だ。創設者は日銀に勤務し、後に大蔵大臣を歴任した井上準之助(1869〜1932)である。井上は日銀時代にニューヨーク支店に勤務していたが、群馬県出身の生糸商だった新井領一郎に巡り会い、ゴルフの面白さを説かれたのがきっかけで『中年を過ぎたビジネスマンにとって最良のスポーツ』と熱中した。帰国後、ゴルフ場造りに奔走して、樺山愛輔、荒川新十郎というよき協力を得て東京・駒沢に会員制の倶楽部を創設した。これが日本のゴルフの夜明け。創立は1913(大正2)年12月8日のことだった。

《写真アーサー・H・グルーム》