| (33)プロゴルファーのかくし芸〜玄人はだし、中村の清元 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2019/01/26)

今どきのプロゴルファーのかくし芸といえば、定番はカラオケで美声を披露する程度だろう。だが、戦前派のプロたちの中には本格的な芸人がいた。古くは中村兼吉だ。愛称は兼さん。東京GCのキャディーを振り出しに、神奈川県の藤澤CCから大連の星ヶ浦のプロとして活躍した。昭和7、8年に関東プロゴルフ選手権に連続優勝している。翌8年には日本オープン選手権に勝ち、大連時代は満州のプロ選手権にも勝った実力者だった。その上、当時のプロには珍しい旧制中学出だった。
兼さんの得意芸は清元。その渋い声は玄人はだしという評判だった。昭和初期における兼さん藤澤時代の話だが、噂によると芸者の置屋で清元の稽古に励み、置屋からゴルフ場通いをしていたという。これが会員の耳に入り、逆鱗に触れて大連へ左遷されたという話もある。

昭和10年、安田幸吉ら6人のプロたちと日米対抗のため日本代表に選ばれて、アメリカ本土を転戦した。全米オープン選手権出場の機会に恵まれて58位タイの好成績を残した。この折りにラジオのインタビューを受け、団長加沼豊の通訳で兼さん一生一代の誇らしい声が全米に流れた。
この年の全米オープン選手権にアメリカ遠征をした6人は予選免状の破格の待遇だったが、前半をクリアーでき、後半に進めたのは兼さん一人だった。中村は昭和49年2月、64歳の若さで他界したが、飛ぶクラブ造りに心血を注いだ。
《写真上・中村兼吉(前列の右端)〜米国遠征の横浜港出帆時 写真下・日本オープン選手権を制した中村兼吉》
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