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(47)東京放送の女子オープンゴルフ〜プロの面目を保った樋口久子の優勝
(46)内紛解決から〜日本女子プロゴルフ協会の船出〜
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(41)杉本伊代子、川奈のプロに登用される〜女子プロを目指す同好会に参加
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(38)名手を生んだ川奈の舞台〜富士コースで脚光を浴びた戸田
(37)関西勢に対抗する〜関東プロゴルフ協会の立ち上げ
(36)プロの恩返し〜賞金を差し出した石井(朝)の気質
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(34)プロゴルファーのかくし芸〜帝劇の舞台を沸かせた林由郎の兵隊踊り
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(32)涙なしでは語れない兵役体験〜弟子はもっぱら慰め役
(31)二等兵が大将になった話〜岩倉二等兵のゴルフ経験
(30)安田幸吉の徴兵検査〜第二丙種で兵役免除


(23)戦時中のゴルフ競技(2)〜学生ゴルフは細々と・・・ 番組名:伊豆伊東のゴルフ物語

更新日(2018/11/22)

  昭和17年の太平洋戦争の最中、スポーツを制限するスポーツ統制令が時の東條内閣から発令された。舶来色の強いスポーツの排除だった。日本のスポーツを統括する日本体育協会は解散させられたので、舶来色の強いゴルフは当然、排除とみられていたが、ゴルフ協会は打球部会と名を変えて生き残った。

  ただし全国規模の競技会(日本打球選手権など)の開催は控え、地方大会のみになった。戦時中のことだから軍事優先で、一般の旅行は控え目。しかし、1943(昭和18)年度のゴルフ競技は地方大会のみの競技日程が組まれ、東西の大会が行われた。

  関東地区は関東打球大会(関東アマ)、関東専門打球大会(関東プロ)、関西も同様だった。

  学生のスポーツ(六大学野球など)は学徒体育振興会の傘下に置かれた。だが学生ゴルフは振興会から除外された。しかし、学生の旧団体である全日本学生ゴルフ連盟は、72ホール鍛錬競技、全日本学生選手権、全日本大学リーグ戦を挙行した。

  日本のゴルフ界は1940(昭和15)年には、キャディを廃止(60歳以上は除く)し、ゴルフ大会の賞品を与えないこと。私的競技、団体競技(アマ、プロの東西対抗)を行わず、ゴルフは技術本位、心身鍛錬を目標にするものに限られ、飲食の簡素化、自家用車の禁止、贅沢は慎むということが申し合わせていた。

  この年には銀器献納という政令が出て、各ゴルフ場が使っていた銀製のカップ類が大砲や鉄砲の弾になるのを目標に地方の公共団体などに供出させられた。

《写真・戦時下のゴルフに関する日本ゴルフ協会の決定事》