| (18)大倉財閥のゴルフ場建設(2) |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/10/20)
地元民との融和を図った大倉の親心

大倉喜七郎が川奈でゴルフ場の建設に乗り出したのは1928(昭和3)年より少し前だった。この時代は会員制のゴルフ倶楽部建設でも金集めが大変だったのに、個人の財力でパブリック18ホールのコースを造ろうというのだから、大倉の計画に世間は気違い扱いをした。大倉財閥二代目の道楽と見る人が多かったようだ。
しかし大倉は最初からこの川奈の土地にゴルフ場を造る計画ではなかったようだ。牧場にでもしようか、と買った土地で、およそ60万坪の広さがあった。ところがこの土地は石ころが多く、牧場には向かないことが分かり、ゴルフ場造りに目標を変えたらしい。そこで拡張に迫られた。買い増しの土地の大部分は、川奈で漁業を営む住民のものだった。
伊東の歴史を知る北岡貴人氏によれば『大倉さんが手に入れた土地は、ゴルフ場や他の施設を造るには少々狭い。そこで土地拡幅の必要に迫られた。買収に当たって川奈地区の住民との間にこんな約束をとりつけた。川奈地区は水が足りない。飲料水の確保と住民が働く場所の提供』だった。
大倉は土地を求める際、水を引く工事を提案した。その事業費数万円を負担することにした。水は伊東市の小室地区から川奈のゴルフリンクス拡張と観光施設充実用へと引かれた。地主たちは長年、抱えていた水不足の悩みという難問を解決できる見通しが立った。川奈地区の住民は水を得るために雨水を貯め、熱湯にして消毒し、それを冷まして炊飯などに使っていたそうだ。川奈リンクス建設の裏にあった大倉と地主との交流の一幕である。
《写真・川奈ホテル》
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