| (66)川奈のプロたちの武者修行〜東京GCで修業した山本、内田ら |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2020/01/27)

日本のプロゴルファーの発祥は東京ゴルフ倶楽部の駒沢コースである。アメリカ留学中にゴルフを身に着けた赤星六郎は帰国後、東京ゴルフ倶楽部に入会した。帰国する前年にはパインハーストの大会で優勝し、アメリカのゴルフ界では“東洋の新しいスター誕生”と大騒ぎされたことがある。当時、日本ではアメリカでの出来事についての情報が乏しく、赤星が帰国してアマチュアゴルファーの快挙と知った次第だ。
東京ゴルフ倶楽部に入会した赤星は、ゴルフの普及に奔走した。
『ゴルフの普及にはプロの存在は不可欠』とプロの育成に汗を流した。白羽の矢が立ったのは安田幸吉で、プロになるべく赤星の指導が始まった。安田は世田谷・深沢の尋常高等小学校を卒業し、お行儀見習いを兼ねてゴルフでキャディをやっていた。赤星は素直な安田少年にプロとしての心得やプロの在り方を指導した。
東京GCは1932(昭和7)年に埼玉県の朝霞に移転し、これをきっかけに優秀な少年キャディ25人を募集したが、同時に川奈出身のプロを迎え入れた。
山本増二郎と内田義男の二人で、アリソン設計の名コースでの修行に入った。ともに川奈でそれなりの活動はしていたが、東京ゴルフ倶楽部の会員だった大倉喜七郎の配慮と思われる。
山本は修行後、1930(昭和5)年に新設された我孫子GCにプロとして迎えられ、林由郎という戦後、華々しい活躍をしたプロを育てた。その時の逸話でこんな話がある。元来、まじめ人間で知られる山本は、弟子の林が師匠より遅れて出勤すると『林!バッグを持ってこい』と大声で一喝するや林のバッグをハウス裏の田んぼに放り投げた。作法に厳しいプロだった。
《写真・東京GCの新人キャディーに交じって修行中の山本増二郎(前列左端)と前列右から4人目が内田義男》
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