(8)ゴルフの元祖、新井領一郎の帰国 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/08/06)
生糸商として長くアメリカに滞在していた新井領一郎は1935(昭和10)年に帰国して、旧友とゴルフを楽しんだ。足を運んだ先は会員になっている東京ゴルフ倶楽部の朝霞コース。このコースは1932(昭和7)年5月に開場したチャールズ・アリソンの力作だった。世界に通用するコースを目指して完成させたが、1940(昭和15)年、旧陸軍省から予科士官学校に転用のため用地が買い上げられて姿を消した。現在、跡地は陸上自衛隊の駐屯地になっている。
宿無しになった東京ゴルフ倶楽部は、当時36ホールを有する埼玉県入間郡にあった秩父カントリー倶楽部(旧名は新霞ケ関CC)と合併して新生の東京ゴルフ倶楽部となって今日に至っている。
帰国した領一郎は旧友の田中実(軽井沢GC創設の中心人物)、地主延之助(横浜生糸社長)と朝霞のコースをプレーしたのは1935(昭和10)年の4月11日。81歳の領一郎は元気に18ホールを歩き、パー3のホールではパーを取って元気なところを見せた。プレー後『若い頃はテニスをやったが、ゴルフが一番いい。仲間ができる喜びがある』とゴルフ礼賛をひとくさり。
かつて後輩の村井保固(貿易商の森村組ニューヨーク支店)にゴルフを勧めた際のこんなエピソードが残る。
領一郎のしつこい勧誘に業を煮やした村井は憮然として『ボールの前にひざまずいて頭を下げたら打ってやる!』に、領一郎は地面に頭をこすりつけて説得した。村井はその後、領一郎に劣らぬゴルフマニアになった。1939(昭和14)年4月、領一郎は84歳の生涯を閉じた。
《写真・1935年に帰国して旧友とゴルフを楽しんだ新井(中央)と右は田中実、地主延之助》
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