| (67)川奈出身、村上義一のコース設計〜相模原西コースは会心の作 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2020/02/07)

川奈ゴルフ出身のプロゴルファーの中には、コース設計の分野で一流と折り紙をつけられたプロが何人かいる。その一人の村上義一の足跡を辿ってみたい。村上は1913(大正2)年、山本増二郎や石井茂と同じく静岡県の生まれで1928(昭和3)年ごろからゴルフ界にご縁ができ、その時代から終戦の年まで川奈ホテルに勤務した。その後、在日米軍専用になった山中湖ゴルフ場の復旧工事に関係し、熱海のゴルフコースにもご縁があった。
その後、米軍の根岸(横浜)のゴルフ場を経て相模原ゴルフクラブ(GC)の専属になった。
村上を相模原GCに誘ったのは同ゴルフ場のオーナーだった小寺酉二で、村上が戦後、ゴルフ場の普及工事や再建工事を経験しているところに着目した。相模原GCは1954(昭和29)年ごろからコース建設が始まり、村上はコース建設の中核を担った。
相模原GCは18ホール(現在の東コース)で開場し「新相模」のゴルフ場と呼ばれていた。それは、コース名に相模という同じ文言が入っていた1930(昭和6)年開場の相模カンツリークラブ(CC)があり、一歩先輩の「相模」に対して「新」という文字をつけて、混同を避けようとしたためだった。
村上はその後、コースの復旧工事や改修工事で身に着けた経験を生かし、岐阜県下の愛岐カントリークラブ、日本ラインゴルフ倶楽部を手掛け、静岡県下では愛鷹シックスハンドレッドクラブなどを完成させ、設計家としての地位を確立している。
相模原時代は西コースの18ホールを手掛けた。戦略的に「好評で東コースをしのぐ評価を得ている。
《写真・相模原GCの西コース(ゴルフダイジェスト社提供)》
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