| (53)ホプキンスの日本訪問〜カナダカップ日本開催が決定的に |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2019/08/06)

カナダカップといっても、現代のゴルファーには馴染みが薄いかもしれない。カナダカップは昭和28年に創始された国別対抗戦のゴルフ競技で、昭和32年、同41、平成13年の計3回、日本で開催されている。そのうち日本は2度優勝しているが、日本のゴルフ史を紐解くと、最初の昭和32年の大会が古いゴルファーには一番印象に残っているようだ。この年の大会は埼玉県の霞ケ関カンツリー倶楽部東コースで開催され、地元の日本は中村寅吉、小野光一のペアで優勝し、日本のゴルフが脚光を浴びて普及に拍車がかかった。
それ以前の日本のゴルフ界では国際競技の開催はなく、主催者グループの一員だった日本テレビ放送網が画期的な実況中継をした。そのおかげでゴルフというスポーツが茶の間に飛び込み、多くの国民はゴルフを知った。それ以前は一部の特権階級の遊びで、内容に対しての知識は薄かった。
そのカナダカップを創始したカナダのジェネラル・ダイナミック社のジョン・ホプキンスは昭和30年、当時の読売新聞社主・正力松太郎の招きで来日し同年5月19日に伊東を訪れ、川奈ホテルに滞在して翌日、ゴルフを楽しんでいる。コーディネートしたのは日本ゴルフ協会の理事だった小寺酉二で、カナダカップの日本開催を働きかけた。正力の招聘とJGAの対応の熱意が実り日本開催が決まって昭和32年正月の読売新聞は一面の社告で『カナダカップ日本開催』を告知し、原子力の平和利用を強調した。日本政府は原子力の導入に熱心で、衆議院における原子力発電導入を検討する委員会の委員長が中曽根康弘だった。
《写真・小寺、ホプキンス:ホプキンスの川奈滞在中にコーディネート役を果たした小寺酉二(上)のゴルフと川奈をプレー中のホプキンス(下)》
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