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(75)川奈ゴルフ出身のプロたち〜コース設計、競技、レッスンで大活躍 番組名:伊豆伊東のゴルフ物語

更新日(2020/05/01)

  川奈から育ったプロは多士済々だ。トーナメントで活躍したプロ、ゴルフ場に所属して運営に貢献したプロなど、他倶楽部に見られない多彩な人材を送り出している。

  川奈会に名を連ねている川奈育ちのプロたちの足跡を追ってみると、1960(昭和35)年代に開かれた際、川奈会のメンバーは40人を超える大世帯だったのが特筆される。

  古い時代からのプロを探してみると、村上義一(相模原GC)、陳清水(芙容CC)、内田義男(千葉PG),山本増二郎(我孫子GC)、石井治作(京都GC)、石井茂(紫CC)、石井哲雄(広野GC)、山口宏(富士GC)、池田宏(キャンプドレーク)、勝俣利孝(平塚CC)、山口春夫(厚木CC)、杉本三義(根岸GC)、村上貞吉(サザンクロスCC)、森田吉平(多摩川練習場)といったメンバーたちでオールドタイマーには懐かしい名前が浮かんでくる。

  川奈会の長老、村上義一が相模原で育てたプロは、石井弘、原芳将、山田悌次郎、稲葉豊に女子プロの佐々木マサ子らがいる。

  川奈会メンバーのうち福西延洋は八王子GCから長崎CCに移籍し、長崎在住のゴルファーたちから信頼されていた。山本嘉夫(桑名CC)は名古屋の名古屋GCとご縁が深く、ここからプロになっている。

  印象に残っているのは鑑田茂だ。相模CCからプロ入りし、1961(昭和46)年、富山の呉羽CCに移った。プロになりたての1959(昭和34)年、日本オープン(相模原GC)の第1日を69(5アンダーパー)でトップに立って『新人ながら・・・』と大きな話題になった。終局的には3位に入賞したが、その前年にプロになったばかりだった。しかし不幸にも平成28年の秋、78歳の若さで他界した。

《写真・1959年の日本オープン第1日で新人ながらトップに立った時の鑑田茂》