| (7)日本のゴルフの先駆者、新井領一郎のゴルフ |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/08/05)

日本のゴルフ史に登場する新井領一郎(1855〜1939)は、生糸商として生涯をアメリカで過ごしたゴルフ愛好家だった。明治から大正の時代にかけてニューヨークを訪れる多くの日本人に、ゴルフの面白さを説き、ゴルフを広めた日本のゴルフの元祖ともいえる人物だった。その領一郎はいまから163年前の1855(安政2)年8月、群馬県で養蚕業を営む星野家に生まれ、幼少期に新井家の養子に迎えられた。
星野家の長兄、長太郎から生糸の輸出の話を持ちかけられ、海外貿易を志してアメリカに渡った。
1876(明治9)年春、領一郎は6人の若者とともに生糸の見本を携え、オセアニア号でアメリカに向かった。佐藤百太郎以下伊達忠七、増田林蔵、鈴木東一郎、森村豊それに新井領一郎らの計6人。
新井はニューヨークに本拠を置き、得意の英語を駆使して生糸の売り込みに汗を流した結果、業績は順調に伸びた。1884(明治17)年には、牛場家の田鶴と結ばれて新しい生活が始まった。
だが、激務のあおりで1900(明治33)年を過ぎた頃から体調を崩し、療養を余儀なくされた。だが、これがきっかけでゴルフの虜になった。
孫のハル・ライシャワーは著著の『絹と武士』にこう書いている。
領一郎は1902(明治35)年頃、療養のためノースカロライナ州のパインハーストに滞在した。ここで健康維持の目的でゴルフを始めた。折柄、アメリカではゴルフが普及し始めたところだった。健康を取り戻し、ニューヨークに戻っても領一郎のゴルフは続いた。ニューヨークの日本人の社交クラブである日本倶楽部(1905年創立)ではアメリカを訪れて来る後輩たちにゴルフを勧めていた。日銀の井上準之助は新井に説得された一人だった。
《写真・絹と武士。著者はハル・ライシャワーで、新井領一郎の孫になる》
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