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(53)ホプキンスの日本訪問〜カナダカップ日本開催が決定的に
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(49)関東女子ゴルフに女優さんが勝った〜新東宝映画のスターだった荒川さつきさん
(48)関東女子ゴルフ選手權始まる〜初代チャンピオンは伊沢鈴子夫人
(47)東京放送の女子オープンゴルフ〜プロの面目を保った樋口久子の優勝
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(45)同好会の内紛解決に三好氏が動く〜組織の分裂騒ぎ後にプロを名乗る〜
(44)同好会の費用捻出に苦慮 〜女子プロは余計な風潮〜
(43)女子プロの卵の旗揚げ〜従業員ゴルフ大会
(42)女子プロ誕生のきっかけ〜原田経子の松島訪問
(41)杉本伊代子、川奈のプロに登用される〜女子プロを目指す同好会に参加
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(39)大倉の人材育成の一環〜キャディーの制服に見るお洒落心
(38)名手を生んだ川奈の舞台〜富士コースで脚光を浴びた戸田
(37)関西勢に対抗する〜関東プロゴルフ協会の立ち上げ
(36)プロの恩返し〜賞金を差し出した石井(朝)の気質
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(34)プロゴルファーのかくし芸〜帝劇の舞台を沸かせた林由郎の兵隊踊り
(33)プロゴルファーのかくし芸〜玄人はだし、中村の清元
(32)涙なしでは語れない兵役体験〜弟子はもっぱら慰め役
(31)二等兵が大将になった話〜岩倉二等兵のゴルフ経験
(30)安田幸吉の徴兵検査〜第二丙種で兵役免除


(15)三井夫人の卓越した技術 番組名:伊豆伊東のゴルフ物語

更新日(2018/09/20)

  昭和5年といえば日本のゴルフは成長期にあり、関東では霞ケ関、我孫子、相模の各倶楽部がその前後に開場して日本ゴルフ協会の加盟倶楽部になったことで、ゴルフは本格的に活動を始めたといえる。

  一方、その時代は海外からは著名なプロの訪日が相次ぎ、日本人ゴルファーは技術の習得に一生懸命だった。いまの時代とは違いゴルフの専門雑誌は関西で発行されていたが、関東にはなく翌6年、目黒書店から『月刊ゴルフ』が刊行された。

  その時代に海外から著名なプロがやってきたが、その代表格は帝王といわれたアメリカのウォルター・へーゲンだろう。昭和5年春、曲打ちのジョー・カークウッドを伴い、やってきた。二人はオーストラリア遠征の帰途、JGAとKGU(関西ゴルフ連盟)の要請で日本に立ち寄った。東京、関西で模範プレーを披露したが、関東(東京GC駒沢)での模範プレーに三井夫人が招かれた。夫人はアメリカから数年前に帰国し、日本の生活にも慣れていた。模範競技の日は好調そのもので、イーブンパーの36で回った。

  この三井夫人の会心のプレーに驚いたのは帝王だった。ゴルフの後進国の日本で、しかも女性がイーブンパーのスコアで回ったことに驚嘆した。帝王はそのご褒美に自分が愛用していたサンドウェッジをバッグから取り出して、三井夫人にプレゼントした。三井夫人は『あの日は不思議なほど調子が良く、36で回りました。するとへーゲンはサンドウエッジを1本、ご褒美にくださるというのです』

  当時の用具の中にはピッチングウェッジやサンドウェッジの類はなく、バンカーではブリック(現在の8番に相当)を使っていた。ロフトが少ないから脱出には相当骨折ったはず。『へーゲンのご褒美は随分と重宝しましたよ』とは三井夫人の感想だったが、世界的な名手がうなった技は、けだし見応えがあっただろう。

《写真・三井夫人と帝王へーゲン》