| (54)カナダカップ日本開催の前年〜林、石井のペアが4位タイの健闘 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2019/08/15)

カナダカップゴルフの日本開催は昭和32年の秋のことだが、この大会開催に日本のゴルフ界が異常なまでに関心を寄せたのは、その前年に日本のペアが団体で4位タイという好成績を残したからだ。日本のペア林由郎(我孫子)と石井廸夫(芦屋・富戸出身)がゴルフ発祥の地、英国のロンドン郊外にあるウエントワースで行われた大会で、あっと驚く成績を残した。
日本はこれまでに3度出場したが、いずれも成績は芳しくなかった。敗戦から日も浅く、ゴルフの普及は未だしという状況だったせいか、昭和29年に初参加以来、ベスト10はおろか、20位どころを低迷していた。だから日本開催といっても多くを期待する声は聞かれなかった。
ところが日本開催の前年、6月26日早朝のことだ。外国通信社(AP通信など)が日本のカナダカップでの大健闘を伝えてきた。内容は林由郎と石井廸夫のペアが大健闘して4位タイ。しかも日本のペアは最終日にそろって69をマークしたと伝えてきた。この69は優勝したアメリカのペア、ベン・ホーガン、サム・スニードが出した69と同スコアということが大きな反響を呼んだ。
かくして日本のペアの大健闘!と各紙は夕刊で大きく報道したことで、カナダカップへの期待感が膨らんだ。
その時代、日本のゴルフ競技は、日本ゴルフ協会、関東・関西のゴルフ連盟が主催するアマチュアの競技が主流で、プロの競技は、日本、関東関西のオープン選手権が注目される程度だった。読売新聞社が『百万円賞金プロゴルフ選手権』を昭和27年に開催したが、『ワンパット20万円のスリル』という売り言葉が話題になり、このキャッチフレーズは、プロゴルフの競技がようやく脚光を浴びるきっかけになったのは確かで、昭和32年秋、『原子力の平和利用』を売り言葉に第5回のカナダカップを迎えることになった。
《写真・『1956年のカナダカップで日本が4位タイと大健闘した時』左端が林由郎、右端は石井廸夫。(ロンドン・ウェントワースで)》
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