| (57)カナダカップでゴルフの普及〜象徴は砧パブリックコース |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2019/09/15)

カナダカップで日本代表の中村寅吉・小野光一のペアの優勝は、全く予想すらできなかった快挙であったのみならず、テレビ中継がなされたために電波が各家庭に入り込んだ。その影響で巷のゴルフ熱が高まったのは事実である。各階層別に眺めてみると、中小企業の経営者が熱心で、ついで各家庭の主婦たちは言うに及ばず、水商売の女性たちの進出が目立った。
隆盛を物語るのは砧(東京都世田谷区)にできた9ホールのパブリックコースであろう。
このゴルフ場は世田谷区の平坦な緑地に1955(昭和30)年12月、東京都の所有地に東急電鉄が委託を受けて造ったコースで、1962(昭和37)年にはゴルフ場としてはめずらしいナイター設備ができた。
特筆すべきはゴルフ界、財界の名士がコースの設計を担当したことである。井上匡四郎(鉄道大臣)、小池厚之助(山一証券社長)、五島昇(東急電鉄社長)、石坂泰三(東芝社長)、鍋島直康(侯爵)、長野重雄(日本鋼管社長)、三井栄子(女流ゴルファー)、平山孝(運輸次官)、三好徳行(日本アマ三連勝)の諸氏がそれぞれ1ホールを担当した。
大衆的だったのは料金設定だろう。当時サラリーマンの平均的な月収は3万から5万円。コースの料金はグリーンフィーが550円、キャディーフィーは120円、諸経費込みで1000円もあればお釣りがきた。
開場早々から人気があり、プレーのスタートは到着順だったことから午前3時には来場者が並ぶという盛況で、しかも、専属プロにカナダカップの優勝者、中村を迎えた。ナイター設備ができたものの、ボール探しに骨が折れた。1966(昭和41)年、東京都民の『ゴルフ場を廃止して緑地を求められた』ことからコースは姿を消した。現在は東京・世田谷区にある緑地公園になっている。
《写真・中村・小野のカナダカップ優勝》
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