| (38)名手を生んだ川奈の舞台〜富士コースで脚光を浴びた戸田 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2019/03/01)

川奈のゴルフリンクスは昭和9年、富士コースが完成して日本では36ホールを備えた指折りの有名なゴルフ場になった。その間、静岡県との間で課税問題がこじれてゴルフ場閉鎖という大きな事件があったものの、オーナー大倉喜七郎のゴルフ普及にかけた情熱が着実に実を結んでいった。単に多くのゴルファーが川奈に目を向けるだけではなく、戦前はプロゴルフの選手権や戦後は国際競技の舞台になり、脚光を浴びることが多かった。プロゴルフ界の中枢を担ったプロゴルファーたちも育った。そこでゴルフ史に残る競技の数々を取り上げてみるが、こんな一件もあったのは忘れ難い。昭和9年の2月、来場者の煙草の火の不始末から施設の一部、約9万坪が消失する事件があった。幸いにもクラブハウスや宿泊施設は延焼を免れている。
さて戦前、川奈でのゴルフ競技で脚光を浴びた一つに昭和14年の日本プロゴルフ選手権がある。日中戦争が長引いて戦域が拡大し、戦争の足音が高まり、政府は時局を考慮してゴルフ場の入場者1人に対して1円を課税した。
しかし翌年には東京でのオリンピック開催が予定されていたのでスポーツ熱は高く、ゴルフはこの年、日本アマチュアゴルフ選手権に東大生の原田盛治が優勝し、東西対抗には近衞文隆が登場するなど新進ゴルファーの登場など華やかな話題が多かった。
川奈での日本プロゴルフ選手権は戸田藤一郎が宮本留吉を3アンド2で破って、チャンピオンになり注目された。戸田はこの年に日本プロ、日本オープン、関西オープン、関西プロの4大タイトルを同一年度に手中にして鬼才といわれた。
《写真・ゴルフの鬼才といわれた名手だった戸田藤一郎》
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