| (19)大倉財閥のゴルフ場建設(3) |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/11/01)
札幌の大倉山シャンツェ、金メダル飛行隊奮戦の場

大倉喜七郎が川奈ホテルに付随した18ホールのパブリックコースを完成させたのは1928(昭和3)年だが、ほぼ同じ時期だが札幌にスキーのジャンプ台を完成させている。
1972年の札幌冬季五輪の際、このスキーのジャンプ台で日の丸飛行隊の笠谷幸生らが大健闘して金メダルを獲得している。この時は金メダルのみに大勢の眼が集中したので《大倉ジャンプ台》の建設者のことは話題にはならなかったが、大倉の名を今に留めている一例だ。
さて、川奈の大島コースの設計はゴルフ界の父と慕われている大谷光明だが、山を切り開いて造られただけあって、コースは起伏に富み、歩くと骨が折れる。しかし、その時代はゴルフの普及に拍車がかかり、各地に名コースが誕生したこともあって川奈はさらに脚光を浴びた。
川奈では大島コースに次いで富士コースが1936(昭和11)に開場した。英国のコース設計家で有名なチャールズ・アリソンの設計である。1930(昭和5)年、東京ゴルフ倶楽部が新コースを造るに当たって招いた設計家だった。
作家の伊籐正徳が残した名文句『本渓湖の石炭の埋蔵量はなん億トンあるかは知らないが、それはいつか尽きるだろう。だが、川奈のコースだけは永久に存在せざるを得ないのだ』
川奈、伊東の温泉プラスゴルフの魅力をこんな言葉で表現をしている。
1928(昭和3)年、秩父宮が北海道でスキーを楽しまれた後、大倉に『札幌に施設が完備すれば世界的なスキー場になる』とおっしゃられ、大倉山のジャンプ台は実現したそうだ。完成は1931(昭和6)年だった。
《写真・札幌=大倉山のジャンプ台》
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