| (20)大倉財閥のゴルフ場建設(4) |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/11/02)
馬にまたがり、ゴルフ場用地探し

『ウチのお父ちゃん』というセリフで有名だった大屋政子さんは、ご主人の元帝人社長だった大屋晋三が川奈でホールインワンを出したということもあり、こよなく川奈を愛したゴルファーの一人だった。
その大屋政子が人間・大倉喜七郎についてこんな思い出話をしたことがある。
『戦前のことですが、帝国ホテルの社長をしておられ、戦後は公職追放で一時、身を引いておられました。帝国ホテルの会長に返り咲こうとしましたが、それが果たせなかったそうで、その代わり帝国ホテル以上のホテルを造ってやる。と立ち上がったのがホテルオークラでした。
日本棋院の創設に尽くさはった方。芸術に造詣が深く、洋楽と邦楽、西洋美術と日本美術の融合を唱えるなど大変な趣味人でした』
さらに大倉にまつわる話としてこんなこともあったそうだ。
『昭和の初めにあの広大なゴルフ場とホテルを造るについては、さすがの大倉財閥の中でも、賛成者は誰一人としてなく、親戚一同から“準禁治産者”のような目で見られたこともあったそうです』
この話を受けて大倉は『親戚から湯水のように金を使う。あんなばけものみたいなもの(ホテルとゴルフ場)を造って、いったいどうする気だ。と非難、攻撃されたけど、戦後あの川奈はゴルファーのメッカといわれるようになった』 と得意そうだった。
『伊豆の山にゴルフ場を造るときに、大倉さんは馬にまたがり、山を越え、谷を渡って土地を歩いたそうです。大倉さんが大切にした丁重なサービス精神は、東京・赤坂のホテルオークラで生きている、とは大屋さんや顧客の声だ。
《写真・大屋晋三夫妻》
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