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(57)カナダカップでゴルフの普及〜象徴は砧パブリックコース
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(50)川奈の36ホールが日本のゴルフ界に与えた影響
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(45)同好会の内紛解決に三好氏が動く〜組織の分裂騒ぎ後にプロを名乗る〜
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(43)女子プロの卵の旗揚げ〜従業員ゴルフ大会
(42)女子プロ誕生のきっかけ〜原田経子の松島訪問
(41)杉本伊代子、川奈のプロに登用される〜女子プロを目指す同好会に参加
(40)杉本伊代子の記念碑〜同僚が建立に一肌
(39)大倉の人材育成の一環〜キャディーの制服に見るお洒落心
(38)名手を生んだ川奈の舞台〜富士コースで脚光を浴びた戸田
(37)関西勢に対抗する〜関東プロゴルフ協会の立ち上げ
(36)プロの恩返し〜賞金を差し出した石井(朝)の気質
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(34)プロゴルファーのかくし芸〜帝劇の舞台を沸かせた林由郎の兵隊踊り
(33)プロゴルファーのかくし芸〜玄人はだし、中村の清元
(32)涙なしでは語れない兵役体験〜弟子はもっぱら慰め役
(31)二等兵が大将になった話〜岩倉二等兵のゴルフ経験
(30)安田幸吉の徴兵検査〜第二丙種で兵役免除
(29)『カワナ。懐かしい』 〜川奈に駐留した元米兵の思い出
(28)日本のゴルフ場接収後〜米軍家族が教えたファミリーゴルフ
(27)米軍のゴルフ場接収〜接収は紳士的にゴルフ王国の勝者らしく
(26)戦時下のゴルフ競技〜プロ、アマとも地域大会のみ
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(22)戦時中のゴルフ競技(1)〜政府、舶来色一掃に懸命
(21)川奈のゴルフコースに税金 閉鎖騒ぎが勃発
(20)大倉財閥のゴルフ場建設(4)
(19)大倉財閥のゴルフ場建設(3)
(18)大倉財閥のゴルフ場建設(2)
(17)大倉財閥のゴルフ場建設(1)
(16)大倉財閥の川奈進出
(15)三井夫人の卓越した技術
(14)女子アマチュアの関東、関西婦人対抗戦
(13)アマ・プロゴルファーによる東西対抗(アマチュア)
(12)女流ゴルファーの草分け帰国後ゴルフ場の近くに居を構える熱中ぶり
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(8)ゴルフの元祖、新井領一郎の帰国
(7)日本のゴルフの先駆者、新井領一郎のゴルフ
(6)林愛作のゴルフとゴルフ場
(5)日本のゴルフコースの建設
(4)日本人が創ったゴルフ場の出資者は、経済界牽引の大物ぞろい
(3)日本のゴルフとゴルフ場
(2)暖香園とゴルフ
(1)東京と奥座敷(伊東)を結ぶ東海道線と伊東線
(はじめに)いい温泉とゴルフ


(20)大倉財閥のゴルフ場建設(4) 番組名:伊豆伊東のゴルフ物語

更新日(2018/11/02)


馬にまたがり、ゴルフ場用地探し

  『ウチのお父ちゃん』というセリフで有名だった大屋政子さんは、ご主人の元帝人社長だった大屋晋三が川奈でホールインワンを出したということもあり、こよなく川奈を愛したゴルファーの一人だった。

  その大屋政子が人間・大倉喜七郎についてこんな思い出話をしたことがある。

  『戦前のことですが、帝国ホテルの社長をしておられ、戦後は公職追放で一時、身を引いておられました。帝国ホテルの会長に返り咲こうとしましたが、それが果たせなかったそうで、その代わり帝国ホテル以上のホテルを造ってやる。と立ち上がったのがホテルオークラでした。

  日本棋院の創設に尽くさはった方。芸術に造詣が深く、洋楽と邦楽、西洋美術と日本美術の融合を唱えるなど大変な趣味人でした』 さらに大倉にまつわる話としてこんなこともあったそうだ。

  『昭和の初めにあの広大なゴルフ場とホテルを造るについては、さすがの大倉財閥の中でも、賛成者は誰一人としてなく、親戚一同から“準禁治産者”のような目で見られたこともあったそうです』

  この話を受けて大倉は『親戚から湯水のように金を使う。あんなばけものみたいなもの(ホテルとゴルフ場)を造って、いったいどうする気だ。と非難、攻撃されたけど、戦後あの川奈はゴルファーのメッカといわれるようになった』 と得意そうだった。

  『伊豆の山にゴルフ場を造るときに、大倉さんは馬にまたがり、山を越え、谷を渡って土地を歩いたそうです。大倉さんが大切にした丁重なサービス精神は、東京・赤坂のホテルオークラで生きている、とは大屋さんや顧客の声だ。 

《写真・大屋晋三夫妻》