| (11)在日外人の日本選手権から、日本人の選手権へ、だが・・・ |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/09/01)

日本ゴルフ協会(JGA)は1924(大正13)年に産声を挙げ、主な事業はゴルフ規則の制定と競技会の開催としている。その事業の一つに日本のナショナル選手権の開催があるが、その前身は、神戸ゴルフ倶楽部と横浜・根岸のニッポンレースクラブ・ゴルフィングアソシエーションとの対抗戦であった。1907(明治40)のこと。両倶楽部の代表たちの発案で、対抗戦を日本選手権にしようということになり、第1回の日本選手権開催(神戸)の運びとなった。だが、日本選手権といっても初期の段階では日本人の参加はなく、外国人のみの大会だった。

日本人初の参加者は1916(大正5)年の一色虎児(東京ゴルフ倶楽部会員)。一色はアメリカでゴルフを覚えた一人だが、その後、海外でゴルフを履修した川崎肇といったビジネスマンたちが帰国して競技に参加するようになり、権威あるナショナルチャンピオンシップになった。
外国人時代の競技は36ホールのストロークプレーで争われていたが、JGA創立後にマッチプレーが採用され、勝ち抜き戦でチャンピオンの座を競った。
だが、1967(昭和42)年に競技方法はストロークプレーになり、2000(平成12)年にマッチプレーが復活と思ったら2016(平成28)年にまたストロークプレーに戻った。競技方法は猫の目のような変わりようだ。
かつて選手権の出場者たちはアマチュアリズムを遵守し、作法に厳しく、ルールに厳格でゴルファーの範となるような人物が多かったが、いまは中高生、学生の大会という印象は否めない。社会人の参加は日程、費用などの事情で年々減少傾向で、極論すれば、プロの予備校という感が強い、と寂しい思いのオールドタイマーが多い。
《写真・日本人として草創期の日本アマ選手権で活躍した川崎肇(右)、日本人として初出場した一色虎児(左)》
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