| (26)戦時下のゴルフ競技〜プロ、アマとも地域大会のみ |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/12/07)

第二次大戦中、ゴルフは禁止されたわけではないが、自粛ムード一点張りで、競技は友好ムードより技術本位が強調され、もっぱら身心鍛錬という言葉を目的に掲げた。競技会の開催などは自粛ムードが強く、アマチュアの全国規模の競技会は行われず、地域大会のみとなった。関東地区は関東打球大会。関西地区は関西打球大会となり、プロも同様で関東、関西の専門打球大会となった。昭和18年のこと。遠征の旅行などの無駄な動きは自粛という空気が強かった。
全国のゴルフを統括する日本ゴルフ協会はその前年に解散させられた。新しく生まれたゴルフの統括団体である打球部会が発表したこの年度の事業計画は、戦時体制の時局を考慮したものだった。ゴルフ自粛ムードの空気を象徴しているのは、ゴルフボールの配給制度であろう。
戦時態勢に入った昭和13年に決定、10月から実施されたが、国の産業は軍需物資生産が優先で、レジャー用品の生産は二の次だった。
ゴルフボールの配給制度は加盟倶楽部の理事長宛てに通達され、月ごとに協会から割り当て数の連絡があった。
日本のゴルフ草創期のゴルフボールは、輸入されていたために高価だった。国産化されて少し安くなったが、1個1円の時代があった。今日、1円といえばアルミニュームの1円玉と軽く見てしまうが、当時はボール1個が1円といえば大変に高価で《円タク》という言葉にご縁がある。円タクという言葉は1円の均一料金で走るタクシーのこと。ボールの値段がこれに匹敵したというから、ボールがラフに入ると血眼になって探したのはよく分かる。
《写真・昭和14年に発行されたゴルフボールの配給通知文》
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