| (10)日本のゴルフ躍進とJGAの創設 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/08/08)

1913(大正2)年、日本人の手による日本人のゴルフ倶楽部が誕生して、日本のゴルフは夜明けを迎えた。時は明治時代から大正時代へと移り、西洋から持ち込まれたスポーツの愛好者が増えた。
東京ゴルフ倶楽部の会員たちは他倶楽部との対抗マッチに目を向け、横浜や神戸にあった外国人の倶楽部を相手に腕を競った。ところがゴルフにはきめ細かい競技規則があり、当時は外国人だけの英文規則のみで日本人は理解しにくかった。このため対抗戦で反則行為とみなされて、勝てる勝負を落とし悔しい思いをしている。そこで先達は日本のルールを求めて、ゴルフ界の組織化を図った。
イギリスでゴルフを履修した大谷光明(1885〜1961、浄土真宗西本願寺・光尊三男)は1924(大正13)年、東京ゴルフ倶楽部(駒沢)で開催された日本アマチュア選手権(在日外国人の手で開かれていた)の折、参加した東西7倶楽部の代表たちに日本のゴルフを統括する競技団体の創設を呼びかけた。創設案は決議されて定款、規約、細則、委員の選任や競技会開催などが決まった。当時、在日外国人の手で行われていた日本選手権は今日の日本アマチュア選手権の前身で、優勝カップは当時のものが引き継がれている。

発足した日本ゴルフ協会(当時は英文表記でジャパンゴルフアソシエーション=JGA)は1934(昭和9)年からゴルフ規則の邦文化に取り組み、大谷光明を柱に邦文起草委員会を立ち上げた。邦文化された規則は翌10年から実施され、同時にJGAにルール委員会が発足している。
公益法人である今日のJGAは、ナショナルフェデレーション(NF)として我が国のゴルフ界を代表する機関であり、競技規則制定や国際交流などの事業を手掛けている。
《写真・(右) JGA発行の規則書(昭和9年に邦文化された) ・(左)日本アマチュア選手権トロフィー(JGA70年史より)
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