| (61)大倉・野村の友情から実現した〜世界アマチュアチーム選手権 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2019/11/11)

大倉喜七郎は実業家で川奈ホテルのオーナー。一方の野村駿吉は日本ゴルフ協会の副会長で、戦後日本の、ゴルフの国際化における推進役を担った。ともに同世代に生きた日本を代表するビジネスマンで、両者の交流は若い時代から続き、野村は川奈ホテルのご常連客だった。
ゴルフの国際化に熱心だった野村は、当初、アマチュアの日米対抗を思い立った。だが、米国側がこれを受けず、1958(昭和33)年秋の世界アマチュアゴルフチーム選手権大会に変わった。第1回大会はゴルフ発祥の地スコットランドで、第2回大会は米国、そして第3回大会は日本開催となり、会場を川奈とすべく野村は親友の大倉に相談を持ち掛けた。

ゴルフの世界アマチーム選手権の開催要項は、オリンピックと同じで、同じ宿舎に泊まり、同じ食事を楽しみ、友好を深めることをモットーとしている。開催場所としてホテル、ゴルフコース提供の要請を受けた大倉は即座に了承し、1962(昭和37)年の秋、川奈富士コースで開催された。優勝はアメリカ。地元の日本は中部銀次郎、石本喜義、鍋島直要、広瀬義兼という当時日本のアマチュア界を代表するメンバーが出場して5位の成績を収めた。この国際競技は1957(昭和32)年のカナダカップに次ぐ大規模な国際大会で、関東、関西はもとより全国のゴルフ倶楽部が支援した。各地から大会を支援するキャディーさんが集まり、大会を盛り上げた。アメリカチームはディーン・ビーマンがいた。後に米プロ協会のコミッショナーを務めた。プロになったリチャード・サイクスもいた。グリーンの傾斜を読む際、パターを目の前で吊るす独特の芝読みのスタイルが話題になった。日本のゴルフ界でもこのスタイルを真似るゴルファーが続出し、サイクス流の芝読み術と話題になった。
《写真右上・第3回世界アマチーム選手権の大会の表彰式:アイゼンハワーがトロフィ―の授与》
《写真左中・川奈ホテルの会議室で懇談する野村駿吉氏ジョセフ・ダイ氏(USGA
セクレタリー)》
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