(9)日本人の第1号ゴルファー |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/08/07)
日本人でだれが一番早くゴルフを始めただろうか?いささかクイズめいた話だが、よく話題にもなる。ビジネスマン?それともお医者さん?だろうか。答えは意外や意外。旧海軍士官だった。
その海軍士官の名前は水谷叔彦(よしひこ)(1865〜1947)。海軍退役時は機関少将のエンジニアだった。水谷は舞鶴の海軍機関学校を卒業して1893(明治26)年、イギリスのグリニッチにある海軍大学に留学した。留学中の生活はこまめに日誌に認(したた)めているが、この日誌が水谷の実家で見つかった、と精密機器メーカーの社長をしていた明石和彦氏が公開してくれた。水谷日誌は僅か1行ながら、18ゴルフをやったと書かれている。これぞ日本のゴルフ史の上、貴重な記録といえる。
横書きのペン文字で、1896(明治29)年1月1日のページに『午前、golfingを為す』とある。日付も明確で、明石氏は『祖父は日頃、日本人の中では私が最初にゴルフをやった』と家人に語っていたそうで、これを裏付けている。
水谷が日本人の最初のゴルファーであることを発見したのは下村宏(1875〜1957)で、政治家、ジャーナリスト、歌人、ゴルフ愛好家として知られる。終戦時は鈴木内閣の情報局総裁。終戦の玉音放送に関わった。
ゴルフは程ヶ谷CCの会員で役員を歴任している。多彩な才能の持ち主らしく海南という号を持っていた。
水谷は、惜しむらくは軍人という立場上、ゴルフを普及させようとした言動はなく、あくまでも個人的はスポーツに終わっている。しかし海軍を退役後、北海道・室蘭の製鉄所の役員を歴任し、室蘭イタンキコースの開設に助言をしている。明治、大正時の富国強兵の意外なる副産物だった。
《写真・東京GCをプレーする水谷さん〜右端と日誌の一ページ》
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