| (68)村上のプロ育成〜石井裕士と佐々木マサ子 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2020/02/19)

村上義一は相模原ゴルフクラブ(GC)に移って以来、通常のプロの業務と並行して若いプロの育成に力を注いだ。川奈に縁の深い石井裕士(弘)がその代表格だろう。体格に恵まれ、パワーがあり、よく飛ばした。村上は『ヒロシは期待している若者です』と懇意な仲間に紹介していた。
石井は一見不愛想だが、人柄はよかった。1960(昭和35)年にプロ入り。当初はなかなか芽が出なかったが、村上の紹介で愛岐カントリークラブに移ってからパワーゴルフの本領を発揮し、日本プロ、中部オープンなどに優勝している。ところが不幸にも65歳の若さで癌に侵され他界した。
同じころ、相模原GCでは佐々木マサ子という女子プロが育った。日本人離れした容貌の持ち主で体格もよかった。168センチの長身だった。岩手県の出身で運動神経がよく、将来を嘱望されていた。相模原から三重県の四日市に移った後、運動具メーカー、ミズノの専属になった。1972(昭和47)年の日本女子オープンに優勝し、常勝樋口久子を抑えたことが高く評価された。
佐々木は樋口、佐々木のコンビでアメリカの女子ツアーに参加して各地を転戦している。樋口は転戦中、US女子プロ選手権に優勝してゴルフ界の話題になった。相模原GCでは男子プロでは石井裕士以下、原芳将他、若いプロが多数育った。石井は中部オープンに2度優勝の記録がある。原には特筆すべき記録はないが、後輩の面倒をよく見た。村上亡き後、神奈川県下のこの地区のプロの組織的な活動や組織の強化に力を入れていた。村上は78歳で他界したが、その葬儀は倶楽部の練習場で行われた。プロの葬儀を倶楽部が関わるのは稀だが、相模原GCが村上に向けた感謝の意あったろう。
《写真・佐々木マサ子》
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