| (65)川奈会の誕生〜大倉喜七郎のプロゴルフ支援がきっかけ |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2020/01/14)

大倉男爵招待の関東プロゴルフ競技会という催しが開かれたのは1939(昭和14)年の2月22日のこと。参加したのは関東プロゴルフ協会員の32人。絶好のゴルフ日和に恵まれ36ホールのストロークプレーで争われた。コースはアリソン設計の富士コース(6691ヤード・パー72)だった。富士コースはこの年の秋、日本プロゴルフ選手権の開催が予定されていて、コースが完成して初めてのプロ競技となった。
競技(36ホールストロークプレー、当時はメダルプレートといった)はホームコースになる村上義一(川奈)が午前中のプレーで76をマークしてトップに立ち、これに78の林萬福(東京)と川奈出身の内田義男(奉天)が続いた。
スタートの遅かった内田は午後のラウンドの17番でトップを走る林を1打しのぐ好調なプレーを続け、18番をパーで切り抜ければ優勝という場面だった。ところが2打目がホール右側の立ち木に当たり、3打でグリーンに乗せたものの3パットの6となりトップの林に1打離されて通算155。結局、林が154打で逃げ切った。3位は浅見緑蔵(程ヶ谷)と陳清水(武蔵野)が分け合い、午前中トップの村上は160で5位タイとなった。
優勝した林は台湾出身のプロで、東京ゴルフ倶楽部の朝霞に在籍していたが、戦後、母国台湾に引き上げた。日本滞在中は日本オープン、日本プロなどの大きな競技に勝っている。
この招待競技に参加した32人のプロの中から最近のゴルファーに馴染み深いのは、井上清次(相模)、山本増二郎(川奈出身・我孫子)、孫士均(日本に帰化して小野光一・程ヶ谷)、安田幸吉(東京)、向井周吉(我孫子)、島田二郎(程ヶ谷)、中村寅吉(程ヶ谷)、鈴木源次郎(程ヶ谷)、山口宏(川奈)らだが、中村寅吉は新人プロでまだ10歳台の若者だった。
《写真・大倉招待プロゴルフ競技の一コマ》
|