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(63)わかな会ゴルフ大会〜きっかけは世界アマチュア・チーム選手権の開催
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(57)カナダカップでゴルフの普及〜象徴は砧パブリックコース
(56)カナダカップに日本が優勝〜ゴルフの普及に拍車
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(52)井口貞夫とカナダ・カップゴルフ〜ホプキンスに参加要請が実る
(51)半分のカップの会〜大倉流のユーモアで藤原義江を表彰
(50)川奈の36ホールが日本のゴルフ界に与えた影響
(48)関東女子ゴルフ選手權始まる〜初代チャンピオンは伊沢鈴子夫人
(47)東京放送の女子オープンゴルフ〜プロの面目を保った樋口久子の優勝
(46)内紛解決から〜日本女子プロゴルフ協会の船出〜
(45)同好会の内紛解決に三好氏が動く〜組織の分裂騒ぎ後にプロを名乗る〜
(44)同好会の費用捻出に苦慮 〜女子プロは余計な風潮〜
(43)女子プロの卵の旗揚げ〜従業員ゴルフ大会
(42)女子プロ誕生のきっかけ〜原田経子の松島訪問
(41)杉本伊代子、川奈のプロに登用される〜女子プロを目指す同好会に参加
(40)杉本伊代子の記念碑〜同僚が建立に一肌
(39)大倉の人材育成の一環〜キャディーの制服に見るお洒落心
(38)名手を生んだ川奈の舞台〜富士コースで脚光を浴びた戸田
(37)関西勢に対抗する〜関東プロゴルフ協会の立ち上げ
(36)プロの恩返し〜賞金を差し出した石井(朝)の気質
(35)関東プロゴルフ月例競技の納会〜箱根地を替え歌で賑やかに
(34)プロゴルファーのかくし芸〜帝劇の舞台を沸かせた林由郎の兵隊踊り
(33)プロゴルファーのかくし芸〜玄人はだし、中村の清元
(32)涙なしでは語れない兵役体験〜弟子はもっぱら慰め役
(31)二等兵が大将になった話〜岩倉二等兵のゴルフ経験
(30)安田幸吉の徴兵検査〜第二丙種で兵役免除
(29)『カワナ。懐かしい』 〜川奈に駐留した元米兵の思い出
(28)日本のゴルフ場接収後〜米軍家族が教えたファミリーゴルフ
(27)米軍のゴルフ場接収〜接収は紳士的にゴルフ王国の勝者らしく
(26)戦時下のゴルフ競技〜プロ、アマとも地域大会のみ
(25)ゴルフ用語の日本語化〜打球部会苦心の作
(24)銀器献納〜鉄砲の弾丸になり損ねた由緒あるカップ
(23)戦時中のゴルフ競技(2)〜学生ゴルフは細々と・・・
(22)戦時中のゴルフ競技(1)〜政府、舶来色一掃に懸命
(21)川奈のゴルフコースに税金 閉鎖騒ぎが勃発
(20)大倉財閥のゴルフ場建設(4)
(19)大倉財閥のゴルフ場建設(3)
(18)大倉財閥のゴルフ場建設(2)
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(16)大倉財閥の川奈進出
(15)三井夫人の卓越した技術
(14)女子アマチュアの関東、関西婦人対抗戦
(13)アマ・プロゴルファーによる東西対抗(アマチュア)
(12)女流ゴルファーの草分け帰国後ゴルフ場の近くに居を構える熱中ぶり
(11)在日外人の日本選手権から、日本人の選手権へ、だが・・・
(10)日本のゴルフ躍進とJGAの創設
(9)日本人の第1号ゴルファー
(8)ゴルフの元祖、新井領一郎の帰国
(7)日本のゴルフの先駆者、新井領一郎のゴルフ
(6)林愛作のゴルフとゴルフ場
(5)日本のゴルフコースの建設
(4)日本人が創ったゴルフ場の出資者は、経済界牽引の大物ぞろい
(3)日本のゴルフとゴルフ場
(2)暖香園とゴルフ
(1)東京と奥座敷(伊東)を結ぶ東海道線と伊東線
(はじめに)いい温泉とゴルフ


(28)日本のゴルフ場接収後〜米軍家族が教えたファミリーゴルフ 番組名:伊豆伊東のゴルフ物語

更新日(2018/12/22)

  日本に本格的なゴルフが根を下ろして30年を経過した頃から、女性ゴルファーの出現が目立つようになった。それまでのゴルフは男性の遊びだった。日本的な風習で、女性は家庭に引きこもり、スポーツで戸外に出るのは好まれなかった。戦前の日本のゴルフ界では、ゴルフを手掛けるご婦人は極めて少なく、女性のための競技はあったが、限られた階層の方々のみで、例えばプロゴルファーの奥方でさえ、容易にゴルフ場に顔を出すことはなかったようだ。プロの元祖、安田幸吉さんの夫人は『結婚して40年、50年経ちますけど、ゴルフ場に出向いたのは僅かに一度だけです』と話したことがあった。

  しかし、米軍が日本のゴルフ場を接収して以来、彼らは家族ぐるみでゴルフ場に足を運び、将兵のご婦人方もコースへ出た。

  彼らの主張はファミリーゴルフ。老いも若きもコースに出て太陽を浴びながらボールを追う。これまでの日本にはない習慣を持ち込んだ。

  日本の女子ゴルフ選手権の創始は昭和34年だが、きっかけは数年前の日米の婦人親善マッチだった。会場は神奈川県の相模CC。戦後、火災に見舞われたため米軍の接収を免れた。と同時に芝の肥料に人糞を施した。さすがの米軍も接収を敬遠した。このためにホームコースを接収され、自由に使えない他倶楽部の会員たちが相模を利用した。そこで日米の婦人ゴルファーによる親善マッチが行われた。だが遊び感覚旺盛な米軍婦人と対抗意識を真面目に考えていた日本婦人とでは、勝負にならなかった。日本側の勝利の陰に、婦人方もクラブを振ろう、という空気が流れた。

《写真・米軍の家族ぐるみのゴルフの一コマ》