(2)暖香園とゴルフ |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/07/30)
伊東の老舗ホテル『暖香園』(伊東市竹の内1−3−6)は明治22年の創業で、社長の北岡貴人氏(82)は6代目になる。先代の丈人氏(1914〜1985)は大学時代を東京で過ごし、社会人になって体調を崩した。健康維持のためにゴルフを勧められてクラブを振り出した。ここに暖香園と伊豆・伊東のゴルフとの接点がある。
丈人氏はお若い時代に千葉県の我孫子ゴルフ倶楽部に入会してゴルフ熱中時代を迎えた。このゴルフ場には川奈出身の山本増二郎が専属プロとして勤務していたので、技術指導を受けながら交流が始まる。
我孫子GCは昭和5年の開場で名ゴルファ―赤星六郎の設計で知られる。関東では東京ゴルフ倶楽部、程ヶ谷カントリー倶楽部、霞ケ関カンツリー倶楽部、相模カンツリー倶楽部などに並ぶ名門ゴルフ場といわれ、戦前から数多くのアマ、プロ競技の舞台になっている。
昭和初期に入ると川奈には東洋一豪華な川奈ホテルが誕生した。それに付随した大島、富士の両コースが完成してゴルファ―の注目を集めた。訪れるゴルファーが急増した裏には、ゴルフ好きの丈人氏のゴルフ人脈が生きていた。
だが戦後はホテルの全施設は連合国軍に接収され、豪州軍の施設になったが、接収解除を迎え、以前同様に日本人ゴルファ―の手に戻った。戦時中、活動を休止していた関東プロゴルフ協会は在日米軍の協力を得て復活し、以前のように競技会を開催した。川奈のリンクスはその舞台になり、競技に出るプロたちが暖香園を訪れた。この時、丈人氏は自分が楽しんだ我孫子GCのプロのみならず、訪れるプロたちを歓待した。
関東プロゴルフ協会の競技は36ホールの月例で例年、早春の川奈が舞台になったが、今日のプロと違い、当時のプロたちは薄給の身で、遠征費の捻出に苦労していた。
『若い頃、伊東(暖香園)では随分とお世話になったよ』と林由郎(我孫子)はよく口にしていた。丈人氏のゴルフ好きの親心だったろう。
《写真・若槻礼次郎書による暖香園の文字(上)。同ホテルのフロントに飾られている。我孫子GCのプロだった山本増二郎と林由郎(中)と暖香園先代社長の北岡丈人氏(下)》
|