| (52)井口貞夫とカナダ・カップゴルフ〜ホプキンスに参加要請が実る |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2019/07/26)
1953(昭和28)年、イギリスのエリザベス女王の戴冠式がロンドンで行われ、日本から当時皇太子(平成天皇)が天皇(昭和天皇)のご名代として参列された…皇太子は空路アメリカ経由でイギリスに向かわれたが、道中アメリカ本土のみならず、カナダに立ち寄られ、原子力潜水艦ノーチラスの建造で知られるジェネラル・ダイナミックス社を訪問された。

皇太子のお伴は駐カナダの日本大使だった井口貞夫(後に駐アメリカ大使、和歌山県出身)だった。ジェネラル・ダイナミック社の会長はジョン・ホプキンスで、カナダ・カップ(現ワールドカップ)ゴルフの創始者だった。ホプキンスはゴルフ愛好家で、ゴルフを通じて世界各国の友好親善を唱えていた。
カナダ・カップの創始は1953年、第1回大会はカナダで開催された。競技は1国から2名が出場し、72ホールをプレーしてその合計で優勝を争った。当時、日本は敗戦国で、スポーツの国際競技には呼び声がかからなかった。
さて、皇太子のお伴でジェネラル・ダイナミックス社を訪れた井口は、ホプキンスと懇談の機会があり、ゴルフ談義に花を咲かせた。席上、井口は日本のゴルフ事情として、ゴルフの普及ぶりを伝え、カナダ・カップに日本参加を訴えた。ホプキンスは即座に『来年から日本にも招待状を送りましょう』と快諾し、日本の参加が実現した。第2回の大会はモントリオールで開かれ、中村寅吉と川奈出身の石井廸夫が参加した。
井口は晩年、東京ゴルフ倶楽部の会報に原稿を寄せ、カナダ・カップに思いを馳せていた。井口はその後、駐米大使に転じたが、ワシントンで日本勢の応援に駆け付けて小野光一、栗原甲子男の日本ペアを激励している。皇太子のカナダ訪問に絡んだゴルフの国際競技進出の裏話は余り語られていない。
《写真・日本のペアを激励する井口大使(写真中央と左は栗原甲子男右は小野光一)》
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