(44)同好会の費用捻出に苦慮 〜女子プロは余計な風潮〜 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2019/05/05)
日本の女子プロに関わる初の競技は、全国のゴルフ場女子従業員ゴルフ大会として昭和36年春に、東京・東雲のゴルフ場で開催されたが、集まったのはゴルフ場や練習場で働く若い女性たちだった。主な顔ぶれは二瓶綾子(府中〜元日本女子プロゴルフ協会長)、杉本伊代子(川奈)、坂本美代子(城陽)、大場藤子(東雲)、新井敬子(浮間)、長倉ふく江(山王)、樋口明子(砧〜樋口久子の姉)、杉本幸子(川奈)、原田経子(横浜)らだった。
元日本女子プロゴルフ協会長の二瓶綾子は『昭和36年当時、私は府中ゴルフクラブにいました。24歳の時で、師匠のプロである石井朝夫さんから行ってこいといわれて競技に参加しました』と昔を語っている。
このゴルフ大会をきっかけに、ゴルフ場女子従業員ゴルフ同好会は群馬、栃木の借りられるゴルフ場を転々として研修会を開いて研鑽を積んだ。女子プロの卵たちとはいえ、技量は未熟、スポンサーもつかず費用の捻出に苦慮した。経費は松島が会社の金を持ち出していた。会社の経理からは『会社を倒産させるのか』と詰め寄られる始末だった。
その頃、女子プロの出現は、ゴルフ界にとっては画期的なことだが、一方では余計なことと見る風潮があった。この動きが日本ゴルフ協会で副会長・野村駿吉の目にとまり、応援しようという動きになった。それまでは松島が会長職、推進役を兼ねていたが、大物の参入で、会長職を赤星に譲り、松島は運営役に徹した。昭和37年のことだった。
《写真・赤星会長を中心に記念撮影した当時のメンバーたち》
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