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(50)川奈の36ホールが日本のゴルフ界に与えた影響 番組名:伊豆伊東のゴルフ物語

更新日(2019/07/03)

  川奈ホテル36ホールのゴルフ場は今日に至るまで、日本のゴルフ発展のために大きな影響を与えている。それを紐解いてみる。川奈を創った大倉喜七郎の根底に流れていたゴルフ場造りの理念は『趣味でも、道楽でもない。外国人客を伊豆に誘致するため』(大倉の談話)というところだったようだ。

  今日、観光の振興に力を入れるニッポンは、海外からの観光客の誘致に力を入れているが、大倉は80年も昔に観光開発を呼び掛けていた。一方ではゴルフを通して文化人の交流に熱心で、音楽、文士たちのゴルフの集いは言うに及ばず、プロゴルフの発展に力を入れている。

  その大倉の趣味は音楽であることはつとに有名だが、昭和10年7月のこと、音楽関係者を中心に大倉の支援で『楽団ゴルフ倶楽部』が発足した。メンバーはビクターの社長、岡庄五。コロンビアの関係から作家の久米正雄、音楽関係者は近衛秀麿、オペラの藤原義江、太田黒養二ら。さらにゴルフ界から大谷光明、赤星四郎、野村駿吉、鍋島直康といった顔ぶれが集い、名誉会長に大倉が就任し、倶楽部は発会に際し、ゴルフ大会の開催やゴルフを通して音楽界の発展に寄与することを申し合わせた。

  倶楽部の名誉会長に収まった大倉は、自ら開発したというオークラウロという管楽器を奏でていた。この楽器は尺八を洋風化したような楽器で大倉が吹き、バイオリスト巌本真理らと四重奏を楽しんでいた。「大和楽」という新しい種目の邦楽を創造するほど、音楽に造詣が深かった。

《写真・コースに立った大倉喜七郎と近衛文麿(中)と入江徳郎》