| (14)女子アマチュアの関東、関西婦人対抗戦 |
番組名:伊豆伊東のゴルフ物語 |
更新日(2018/09/11)

日本におけるゴルフ競技は男子を中心に発展してきたが、昭和の初期には婦人ゴルファーによる東西対抗戦があった。今日、ゴルフの普及は著しく、プロ、アマともに各種競技が開催されるから珍しくもないが、昭和の初期といえばゴルフ人口もゴルフ場も少なく、まして東西対抗という地域の対抗戦があったことは、いま考えれば貴重なことだった。
女子ゴルファーによる対抗戦の発端は、関西にあった神戸、鳴尾、舞子,茨木など各ゴルフ倶楽部の婦人会員たちによるところが大だ。『日本のゴルフ史』(昭和5年発行)の著者・西村貫一氏の夫人まささんは夫君に伴われて外遊しゴルフを覚えた。帰国後は神戸GCで楽しんだという。当時、神戸GCでは外国の婦人ゴルファーが多かったが、外国でゴルフを覚えた日本婦人が徐々に増え、交流を深めるうちに外国婦人と日本婦人の対抗戦をやろうということになった。この集団が関西レディースゴルフ倶楽部(西村まさ、九鬼忠子以下9人)を立ち上げた。
倶楽部が立ち上げれば、必然的に目は関東に向く。関東との対抗戦をやろうというムードが高まり、婦人ゴルファーたちによる東西対抗戦が実現の運びとなった。関西勢は関東に声をかけた。
これに対して受ける立場の関東勢は、東京ゴルフ倶楽部が創設されて日が浅かったが、以前、本欄で取り上げたアメリカ帰りの三井弁蔵氏夫人の栄子さんが中心になり、東京婦人ゴルフ倶楽部を発足させた。倶楽部総裁に朝香宮妃殿下(允子)を迎えて関西勢を迎え撃つことになった。かくして第1回目の対抗戦は1926(大正15)年5月21日、東京ゴルフ倶楽部の駒沢コースで関東・関西婦人対抗マッチという名称で行われた。関東勢は7.5-1.5で圧勝した。競技は午前ダブルス3試合、午後にシングルス6競技の各18ホールマッチで行われたが、関東の三井夫人の活躍が目立った。
《写真・婦人東西対抗戦の一コマ》
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