(66)女性初のシングルハンディ誕生~横河初子(東京ゴルフ倶楽部家族会員)が9 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2022/04/25)

戦後、日本のゴルフが本格的に復興したのは、1953(昭和28)年頃のこと。日本に駐留したゴルフ愛好国の米軍は、戦時中芋畑になっていたゴルフ場を復旧させた。終戦から数年を経てからだった。関東地域の女子ゴルファーたちは戦前に創設されたゴルフ場の会員 “戦前派”が多かった。そのため、その前後は戦前派がゴルフ場に復帰した。
日本に駐留した米軍人の奥方もゴルフ好きが多いらしく、時折日本のご婦人方との親善ゴルフ会を相模カンツリー倶楽部で開いていた。
関東の女子ゴルフの競技が戦後開かれたのは1955(昭和30)年のこと。参加者は戦前派が多く、若い世代のご婦人方は出る幕はなかった。
ゴルフの復旧とともにこの時代の話題は、女性ゴルフ界からいつ、シングルハンディが生まれるだろうか、だった。その頃に競技で活躍していたご婦人連は比較的年齢が高い方が多かったが、礼儀作法には厳しく、オーソドックスな打法を身に着けていたので、シングルハンディ誕生近し、とみられていた。関東女子競技の始まりは1955(昭和30)年だが、その頃の腕達者な奥様ゴルファーは、ハーフを30台のスコアで回っていた。
1959(昭和34)年12月2日。東京ゴルフ倶楽部のハンディキャップ委員会は婦人会員の横河初子のハンディを『9』と認定した。女性初のシングルハンディの誕生だった。当時、横河の髪型は断髪、ロイドメガネをかけ、べらんめー口調で、取材の新聞記者に《おい、君》と声をかけるのもしばしば。周囲はいつしか、《初太郎》という勇ましいニックネームを献上していた。
《写真・関東女子ゴルフ選手権に優勝した横河初子(写真中央)》
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