| (26)日米対抗で、海を渡った6人のプロたち |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/05/01)

日米対抗ゴルフの日本代表に選ばれた6人は、渡米前の合宿練習を経て1935(昭和10)年の4月9日、安全祈願で明治神宮に参拝後、横浜港から日枝丸に乗船して太平洋を渡った。横浜の埠頭には赤星兄弟を始め、日本ゴルフ連盟の首脳陣が見送った。
一行は4月20日にバンクーバーに到着後、なまった体をほぐそうと街のコースでボールを打ったが、長旅のためか思うようなボールは打てなかったらしい。
上陸してからの移動手段は車だった。肝心の対抗戦は米国本土の西海岸でのコースを皮切りに12回の対戦が予定されていた。
いまの時代とは違い、広い国土を車で移動するのは骨だった。ある時、PGA(米プロゴルフ協会)のトーナメント・コーディネーターとして日本側の世話をしていたボブ・ハーローからこんな手紙が舞い込んだ。マイアミから次の都市に向かう途中のこと、山道で車が故障した。ラジエーターが焼けたそうで、乗っていた6人は谷底から水を箱詰めにしてリレー式に汲み上げた。おんぼろのバスを購入して移動した難行苦行の一旦である。
しかし、代表6人はまとまりがよく、対抗戦は人気上々。入場料収入も予想以上となり、PGA側は気をよくして対抗戦を最初の約束を超える42回に追加した。対戦成績は日本側の42戦25勝13敗4引き分け。結局全土をくまなく回る大キャラバンになった。
この企画はアメリカ側の発案だが、将来はライダーカップ(プロゴルフの英米対抗マッチ)のように発展させたいという狙いがあったらしい。
出発前、一行は東京ゴルフ倶楽部朝霞コースで合宿練習を重ねた。指導に当たったのは日本ゴルフ界の重鎮、赤星四郎、六郎の兄弟で、自宅に6人のプロを呼び寄せて西洋料理の食べ方、作法、特にスープの食べ方を指導した。代表一行のほとんどが西洋料理を口にしたことがない。「作法に落ち度があってはいけない」と出発前は作法の履修から始まった。
《写真・日本の6人のプロたち。前列左から加沼豊団長、右へ中村兼吉、浅見緑蔵、中列左から陳清水、宮本留吉、安田幸吉、後列は戸田藤一郎》
|