| (43)人糞撒いて接収を阻止した臭い話 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/10/03)

1931(昭和6)年開場の相模カンツリー倶楽部(神奈川県大和市)は小田急江ノ島線中央林間駅から徒歩で数十分という18ホール完備の会員制倶楽部だ。過去、日本ゴルフ協会、関東ゴルフ連盟が主催する幾多の競技会場になっている。会員は戦前からの一流企業のビジネスマンや腕達者な女子ゴルファーが名を連ねていて、会員の中から日本のアマチュアゴルフ界を代表する名手を輩出している。所在地が最寄りの駅から近いこともあり、電車を利用してコース通いをする会員が多く、プレー後の談笑は他倶楽部に見られない和やかさがあるようだ。
コースは名ゴルファー赤星六郎の設計によるもので、フラットな地形ながらホールは松などの立ち木に囲まれていて、何度プレーしても飽きない味がある。
戦前から長い歴史を積み重ねてきた倶楽部だが、終戦後に日本に進駐した米軍に接収しかけた時、倶楽部役員をしていた古い会員のとっさの妙案で、接収を免れたというエピソードがある。
倶楽部の近くには連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が舞い降りた厚木飛行場や米軍のキャンプ地になった座間があり、米軍は早くから接収を目論んでいた。ところがゴルフ場側には思わぬ接収阻止の武器(?)があった。強力な武器になったのは人糞である。日本では戦前、戦時中にかかわらず、作物を育てる際、畑に人糞を撒いたが、相模カンツリー倶楽部では芝を育てるためコースに人糞を散布していた。米軍が視察に来た時、香ばしい香りが充満していたそうで、これには無敵誇る米軍もお手上げ。お陰で接収を免れた。そのため、1940年代から50年代にかけて復活した公式競技が開催できた。
《写真・赤星六郎設計の名コースといわれる相模カンツリー倶楽部》
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