(11)女子ゴルフの草分け三井栄子(さきこ)さんのゴルフ |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2020/12/28)

日本の女子ゴルフの草分け的な存在といわれる三井栄子は、“だんじり祭り”で知られる岸和田藩にご縁のある方で、大正4(1915)年に三井家に嫁ぎ、三井弁蔵夫人となってニューヨークやヨーロッパでの生活が長かった。女子学習院時代からテニスを嗜み、ニューヨークなどで楽しんでいた。
ある日のこと、ニューヨークで親戚筋に当たる新井領一郎(ニューヨーク在住の生糸商)とスポーツ談義を交わした際、新井から『テニスは年齢を重ねると苦しくなるから、歳をとっても楽しめるゴルフをおやりなさい』とゴルフの良さを解かれて趣味をテニスからゴルフに変え、夫君とともにゴルフ場通いが始まった。海外での生活が終わり、帰国してゴルフが続けられる環境ということで東京・世田谷区の深沢に居を構えた。近くには日本で初めての会員制のゴルフ場、東京ゴルフ倶楽部があり、日本でのゴルフ場通いが始まった。その間の事情について三井は『ニューヨークでのゴルフは、テニスの服装でコースに出ましたが、日本では着物姿でコースに出るのでしょうか』と服装のことが気になったそうだ。

日本の大正時代のスポーツ界は、今日のような女性用のスポーツウエアなどはなかった。テニスでは長袖、長いスカート姿でボールを追っていた。
女子ゴルフ競技が始まった大正15(1926)年には関東、関西の婦人対抗で見みられる服装は、ロングスカートのテニスウエア姿だった。昭和の時代に入り、動きやすさを追求してスカートの丈が短くなったようだ。
《写真右上・日本髪姿の三井夫人》 《写真左下・スカートの丈がやや短くなった服装が目立つ昭和に入ってからの女子ゴルフ対抗戦の集合写真》
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