(47)ワンパット10万円のスリル |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/11/11)

いま、プロゴルフ競技は花盛り。とりわけ女子プロの競技は電波に乗る機会も多く、男子プロを凌ぐ人気ぶりだ。男子は先のマスターズトーナメントに松山英樹が優勝して大きな話題になったが、人気の点では断然女子の方が優位のようだ。
今日、プロゴルフの競技に関心を寄せるファンは多いが、プロゴルフ競技花盛りのきっかけはいまを去ること70年前の1952年(昭和27年)。戦後のゴルフ復興期に、読売新聞社が賞金総額100万円の読売プロゴルフ選手権を開催したのが走りだ。大会のキャッチフレーズは「ワンパット10万円のスリル」。優勝賞金が30万円、2位が20万円。その差10万円だったことから10万円のスリルというキャッチフレーズが生まれた。
その頃100万円という言葉が流行した。売り出された宝くじの1等賞金が100万円。これが引き金になり、新聞や雑誌などで話題になり、さらに庶民の夢は100万円を手に入れることだった。
さて、読売プロゴルフ選手権は、横浜にあった程ヶ谷カントリー倶楽部が舞台で、当時、若手プロとして注目されていた林由郎(我孫子)が72ホールを通算296打のスコアで制した。翌年の二回目の大会には、富戸出身の石井朝夫が初優勝をとげた。石井は活躍の場を川奈から関東に移した矢先で、関東プロのトップクラスに躍り出た。
この競技は1961(昭和36)年まで続いた。その後キリンオープン、ダンロップオープンなどと主催者や大会の名称が変わったが、アジアサーキットの主要競技としてファンの関心を集めた。
《写真・読売プロゴルフの第1回大会で運営に協力したJGA(日本ゴルフ協会)役員の方々、左から高石真五郎、石井光次郎、中上川勇五郎、小寺酉二各氏》
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