| (4)16歳で大物ぶりを発揮した近衞少年 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2020/11/04)

大物ゴルファーといわれた近衞文隆(1915〜1956)が、日本のゴルフ界で注目されたのは弱冠16歳の時である。1931(昭和6)年の日本アマ選手権は大阪の茨木カンツリー倶楽部で行われ、37人が参加した。この時、近衞少年は初出場ながら36ホールの予選を180打(92・88)で回り、3位で通過して話題になった。
近衞少年のスコアは、パワーがある今日の若者のスコアとは比較にならないが、当時の用具やボールの品質は幼稚で、機能的に劣っていた。ところが近衛少年のスコアは、この大会のメダリストになった相馬孟胤の174打から僅か6打の遅れ。特筆すべきだろう。
予選を通過した近衞少年はマッチプレーに入って1回戦で山形晋氏を6-4で下し、2回戦に進出したが、西垣正太郎に4-2で惜敗した。だが、初陣で予選をパスし、マッチプレーの2回戦進出の快挙は誰しも予想すらしなかった。
この活躍に熱い目を向けたのは、日本ゴルフ協会生みの親である大谷光明だった。
近衞は翌1932(昭和7)年にアメリカ留学、その後、陸軍将校としてシベリアに渡った。終戦後、ソ連に抑留されて消息が途絶えていたが、1955(昭和30)年頃にソ連から送還された抑留者から収容所での近衞の様子が知らされた。収容所でゴルフの格好をしてみんなを笑わせていた、という。だがその翌年、イワノボ収容所で病死したことが発表されて、知る人はその死を悔やんだ。(文中敬称略)
《写真・1931(昭和6)年の日本アマ選手権に初登場した時の近衛文隆氏 》
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