(56)本職が褒めた投網のうまさ |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2022/02/02)

日本にゴルフというスポーツを普及させた人物として、真っ先に語りたいのは赤星四郎、六郎の兄弟である。赤星兄弟のうち、兄の四郎はペンシルバニア大学に学び、在学中はアメリカンフットボール部員として活躍した。1934(昭和9)年11月のことだが、YMCAで日本で初めてフットボールの試合、全日本学生軍×横浜の外人クラブの試合が行われたが、この時、四郎は競技方法や用語などについて解説をしたそうだ。
弟の六郎は若い時分のこと、健康面に不安を抱えていたので激しいスポーツを避けて、静かなゴルフ部に籍を置いた。1924(大正13)年春、大学ゴルフ部の合宿でのこと、たまたま合宿中に出場したパインハーストでのスプリングトーナメントに優勝し「東洋の新星」と騒がれたことがある。今日とは違い情報の流れが少なく、詳細が判明したのは1925(大正14)年、六郎が留学から帰国してからだった。
その六郎はけだしゴルフの虜と思われ勝ちだが、日常生活から眺めると、さにあらず。一番好んだのはゴルフより魚採りで、湘南・早川に居を構え酒匂川の河口に足を運び、投網でクロダイを獲るのを唯一の趣味にしていた。このため、ゴルフ界の長老たちは、魚取りに夢中でゴルフがおろそかになると余計な気配りをしたらしい。しかし投網の腕は確かで、本職の漁師が舌を巻くほどだった、といわれている。ゴルフ史家の小笠原勇八は太平洋戦争前のことだが、早川の赤星邸を何度となく訪問し、釣り上げたクロダイの味は忘れ難い、と語っていた。
《写真・赤星の投網》
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