(41)寅さんはマッチプレーが苦手 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/09/15)
1957(昭和32)年のカナダカップで、日本初優勝の立役者である《寅さん》こと中村寅吉は、ストロークプレーは得意だが、マッチプレーは苦手だった。競技方法がストロークプレーだった関東オープン選手権では無敵の強さを誇ったが、日本プロゴルフ選手権のようにストロークプレー後、マッチプレーの勝ち抜き戦になると格下の相手に、いとも簡単に敗れることがしばしばだった。
1957(昭和32)年、日本で行われた『カナダカップ』は団体戦で、競技方法は、寅さん得意なストロークプレーだったから勝運に恵まれたといえよう。
マッチプレーといえば、先日、松山英樹が健闘した米国のプロゴルフ選手権。マッチプレーだと人気者が必ずしも勝つとは限らない。人気者が敗退すると入場収入に影響するということから、米国のプロ協会は、1916(大正5)年の創始から続いたマッチプレーを1957(昭和32)年に廃止してストロークプレーに切り替えた。日本プロゴルフ選手権も同様。マッチプレーで優勝を争っていたが、1961(昭和36)年からストロークプレーに変わった。中村にとってのプロゴルフ選手権はストロークプレーになってからの優勝は一度のみだが、マッチプレー時代に三度優勝を経験している。
中村は苦手のマッチプレーについて『俺がマッチプレーに弱いのは、相手の顔を見ながらプレーするからだな。気になるから精神統一が疎かになり、いつも負けていた。相手の顔を見るのではなく、コースを見ながらプレーすべしと感じたよ。俺は気が弱いから、相手の存在が気になるものナ』と語っている。これぞ中村が辿りついたマッチプレーを勝ち抜く極意だろうか。
《写真・昭和26年の関東オープンで二度目の優勝を遂げた中村寅吉(中央でトロフィーを持つ)〜小金井カントリー倶楽部で》
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