| (34)プロのハンディキャップ制度 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/07/11)

1957(昭和32)年に日本プロゴルフ協会が誕生して全国のプロを統括する機関となったが、それ以前は関東、関西にプロ協会があり、個別に活動をしていた。ともに昭和ひと桁時代の発足で、日本ゴルフの先達がプロのレベル向上を図る目的で活動していた。
プロ組織の誕生は関西が一足早く(関西はプロゴルフ研究会で発足)、1928(昭和3)年だった。関東は1931(昭和6)年に創設され、その年の7月には関東プロ選手権(程ヶ谷カントリー倶楽部)が開催された。
関東の組織設立に骨折ったのは赤星四郎や石井光次郎だった。
そこにはこんな裏事情があった。『1927(昭和2)年創始のゴルファーナンバーワンを決める「日本オープン選手権」。第1回はアマチュアの赤星六郎が優勝しているが、第3、4回と関西の宮本留吉が連続優勝を遂げて日本のゴルフ界に関西勢強しという印象を与えていた。そこで関東を代表するゴルファーの赤星四郎が、打倒関西を念頭に、関東プロ協会を立ちあげ、月例競技開催を働きかけたのだ。』
プロの月例競技は、今日、行われていない。だが当時は、東西のプロ協会主催で毎月開催されていた。その成績から算出したハンディキャップや平均打数が日本オープンや日本プロの選手権出場資格要件になっていた。
そのハンディキャップは日本オープンや日本プロの選手権優勝経験者(宮本留吉、浅見緑蔵ら)は0。東西地区のプロ、オープンの選手権勝者は1。といった具合に0から5まであった。競技はグロスとネットで争われていた。
ハンディキャップ制度はアマチュアのみではなく、戦前戦後にはプロの協会にも適用されていた。
《写真は昭和14年の関東プロのハンディキャップ一覧表》
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