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(59)知られざる野村(JGA副会長)の貢献〜プロゴルフ協会の立ち上げなど 番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史

更新日(2022/02/28)

  戦後、日本のゴルフを大衆化の方向に導き、さらに国際化とプロの存在価値を高めるために功績のあった人物として、野村駿吉(1889〜1963)の存在を忘れてはならない。野村は岐阜県の出身、戦前派のゴルファーで、日本アマチュア選手権を始め倶楽部競技には数えきれないほど出場している。神戸高商(神戸大学)では日本ゴルフ協会の会長を務めた石井光次郎の親友で、石井とともに戦後の日本のゴルフ界のけん引役を担った。

  社会人になってから石油の輸入の業務に関わり、カルテックスの役員を務めていた。野村は『ゴルフ普及のためには、プロの存在が重要である』と主張し、1957(昭和32)年の7月に日本プロゴルフ協会の立ち上げに尽力があった。

  『プロは自分たちの手でやってゆくべきで、アマチュアの団体が関わっているよりスポンサーが付きやすい』が野村の持論だった。

  戦後、ドルのない時代にプロが海外に出るとなると、野村はプロを呼び寄せ、ドル紙幣をそっと手渡していた。また、来日したアメリカのトッププロだったジャック・バークに留学の身元引受人を懇願し、広野育ちの橘田規と箱根の勝俣敏夫が約1年間、テキサス州に留学。橘田は帰国後、プロ競技で大活躍した。野村がプロを大切に育てるというエピソードの一部だ。

  1963(昭和38)年5月に野村は他界し、日本ゴルフ協会葬が築地・本願寺で行われた。葬儀委員長は親友の石井光次郎。石井は弔辞で親友の死を悼むあまり、途中で絶句する場面があり、参列者の涙を誘った。

《写真・アメリカ留学に旅立つ橘田(黒背広左)と勝俣(黒背広右)を見送る野村駿吉(左》