(48)名物姉妹キャディーの物語〜バッグにいれて連れて帰りたい |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/11/20)

ゴルフ場のキャディーといえば、今日では女性が多く活躍しているが、日本の女性キャディーの優秀さは海外でも知られている。そのきっかけになったのは1957(昭和32)年秋、霞ケ関カンツリー倶楽部で開かれたカナダカップだった。地元の霞ケ関カンツリー倶楽部のみならず、関東周辺の古いゴルフ場から選抜された優秀なハウスキャディーが参加し、各国プレーヤーのバッグを担いだ。
この大会の参加国で一番注目されたのはアメリカのサム・スニードだった。実力、人気ともにナンバーワンで、ゴルフ愛好家の注目の的だった。大会前、参加各国の競技者は練習ラウンドでゴルフ場を訪れ、随時コースを回ったが、サム・スニードは練習をためらった。聞くと『女性のキャディーでは心もとない』とコースに出るのを拒んだ。大会関係者は困惑していたところを、担当予定の女性キャディーはスニードのバッグを担いで足早に歩き出した。それを見たスニードは『OK』と小柄な女性キャディーを受け入れた。その女性は金子くら子さん。小柄だが倶楽部では頑張り屋の優秀なキャディーだった。
当初、拒否したスニードは熟練した仕事ぶりに感心し、競技では彼女が差し出すクラブを黙って受け取り使った。そればかりではなく、彼女に『ナンシー』というニックネームを付け、グリーンの傾斜の読み、距離の目測の助言に全幅の信頼を寄せた。そればかりではなく、大会が終わりになると、彼女を『キャディーバッグに入れて連れて帰りたい』と称賛しきり。その後、スニードは何度か来日したが、彼女にプレークラブをプレゼントして謝意を表した。現役を退いた彼女は、埼玉国体のゴルフ競技が東京ゴルフ倶楽部で行われた際、埼玉県代表の女子チームの世話役としてかいがいしく、動きまわっていた。
《写真・カナダカップでサム・スニードに付き添う金子さん》
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