(32)川奈で味わった駅弁の味 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/06/24)

関東地区のプロゴルファーを統括する組織として、『関東プロゴルフ協会』があった。協会は1931(昭和6)年、赤星四郎の発案で設立された。同じ時期には関西地区に同様の『関西プロゴルフ協会』があり、その地区のゴルフ場に所属するプロゴルファーが加盟していた。
この両組織は、プロを統括すると同時に、毎月それぞれの地区で36ホールの月例競技を開催していた。その成績は日本ゴルフ協会や関東、関西の連盟が主催する各オープン選手権への出場資格を決める参考材料になっていた。
関東地区では川奈にある川奈ホテルのコースが、年度初めの開催コースになっていた。伊豆地方は春の訪れが早く、この時期になると関東のプロたちが競技会の開催に備えて熱海や伊東に集結した。
月例競技は川奈ホテルの大島、富士両コースが使われた。出場するプロたちは熱海や伊東の駅で駅弁を買い求めてコース入りしていた。ホテルでの食事は高価で手が出ない、ということから手頃な駅弁が好まれたようだ。
競技は36ホールのプレーだったため、前後半の中間に食事をしなければならない。プロたちはコースのあちこちに散って駅弁で空腹を満たした。東京在住の古いプロは『よく余分に買って土産にしたものだ。うまかったという思い出が残るよ』と駅弁の乙な味を忘れていない。
最近は東京都内のデパートやマーケットでも地方の名物食材を生かした駅弁が売り場に並んでいる。家庭においても、ゴルフ場においても、駅弁という日本の食文化は、味よし、食材よし、尚かつ値段も手頃と好まれているようだ。
《写真・川奈ホテルのハウスとコース》
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