(61)キャディー廃止に関する通達 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2022/03/16)
日本国が英国、米国に対して宣戦布告をしたのは1941(昭和16)年の12月8日のことだった。日本のゴルフが発展の軌道に乗りかけた矢先の時代だったが、その直後に日本ゴルフ協会から加盟各倶楽部にキャディー廃止の通達文が回った。「贅沢は敵だ」「欲しがりません、勝つまでは・・・」と国は標語を掲げてひたすら国民感情を煽った。ゴルフ場で働いていた若者たちの中には召集令状を手に兵役に服する者も大勢いた。とにかく、英米で育ったゴルフに対しては白い眼が向けられたし、戦時中は外来スポーツ用語の使用は禁止された。例えば野球のストライクは《よし》。ゴルフは《棒球》。バレーボールは《排球》。バスケットボールは《篭球》といった具合にスポーツ用語の使用に対しての制限も厳しかった。
そんな時代を反映して日本ゴルフ協会では、苦難の時代の中での生き残り作戦の一環として、評議委員会の決定事項を加盟倶楽部に通達した。その中で大きな問題はキャディーの廃止だった。ところが、ゴルフプレー上、キャディーはつきものだし、規則上のことだから、協会は切り離せない。さりとて通達の骨子を曲げるわけにもゆかず、協会は苦悩した。
通達の骨子は、若者は戦線に駆り出されるので70歳以上の高齢者を除いてはキャディーを廃止というもの。そのほか派手な服装は禁じられ、地味な行動で慎むことが義務付けられた。当時のゴルファーたちはゴルフ場通いの際は持ち歩くクラブの本数を制限し、冬場だと《マント》の中に包み隠すようにしていた。このほかゴルフ協会からの通達事項にあるのは革のバッグの持ち運びまで制限されていて、贅沢は敵だ、そのものという環境だった。
《写真・ゴルフ協会のキャディー禁止の通達文〜宛先は武蔵野GCから会員諸氏に配布された》
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