(58)軍服姿(在日米軍)のゴルファー |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2022/02/20)

この夏の8月15日は、76年目の終戦記念日だった。終戦の勅語に『堪え難きを堪え、忍び難きを忍び・・・』とあるが、戦争に敗れた日本国民は、復興を目指して一心に働き、切磋琢磨した結果、経済の成長も伴い、スポーツの普及が顕著だった。オリンピックは二度目の開催も無事に終えた。戦前のスポーツ界では考えられなかったことだ。ゴルフの普及、発展も目覚ましく、世界に自慢できるゴルフ大国に成長しているといえよう。その一例は学校の体育授業の正課に、ゴルフを採り入れているところもあるほどだ。これ程の普及の裏には、戦後の日本に進駐した米軍の存在を忘れてはならない。アメリカは世界に冠たるゴルフ王国だ。米軍の兵士は戦時中芋畑になっていたゴルフ場を機械力にものをいわせて昔のように復元させた。ゴルフを愛好するアメリカの国民性が発揮されている。
そのお陰で日本のゴルフ競技は、戦後すぐの1950(昭和25)年には復活している。千葉県の我孫子、神奈川県の相模、程ヶ谷、東京都の小金井、埼玉県の霞ケ関、東京などのゴルフ倶楽部は、米軍に接収されたお陰で、復興が早く、プロたちの活動開始も早かった。ゴルフ王国の兵士たちはプロの存在を意識して日本のプロとの交流が盛んだったし、応援もした。
したがって戦後再開された多くの競技には、腕自慢の軍服姿の兵士たちが日本のアマチュアと競った。母国ではゴルフのプロだった兵士もいたが、兵役に従事している間はアマチュア扱いになっていたから、日本でのアマチュア競技には参加できたし、日本のアマチュアは歯が立つすべはなかった。この写真は1951(昭和26)年の日本アマチュア選手権(日本ゴルフ協会主催)の表彰風景である。競技は米軍の兵士同士の優勝争いだった。勝ったのはアブラハム(写真中央)。立川の米空軍基地の兵士で、ランナーアップはジェニングス。GHQに勤務していた。
《写真・1951(昭和26)年の日本アマの表彰式風景=相模カンツリー倶楽部で》
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