(13)学生ゴルフの生い立ち |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/01/13)

学生のゴルフを統括する学生ゴルフ連盟が創立されて、今年は85年になる。連盟の立ち上げ推進役は、東京・神田にあったスポーツ書籍を専門に出版していた目黒書店(目黒四郎社長)で、ゴルフの専門雑誌を発行していたことから、1931年(昭和6)年、学生ゴルフを統括する連盟を立ち上げた。発起校の慶応義塾、早稲田、明治と加盟校法政の各校が集まり、設立総会を開いた。1935(昭和10)年の2月2日のことだった。
《学生ゴルフ界のために加盟校が相互の連絡をとりながら、健全なる発展を図ること》という目的のもと、競技会開催を視野に入れ、委員長(会長職)には小寺酉二(1897〜1976)、顧問役に赤星四郎と堀込乕之介が就任した。
連盟事業のプログラムに従い、まず同年3月に加盟校による招待競技(大学対抗戦)を東京・駒沢のパブリックコースで、さらに9月には埼玉県の霞ヶ関カンツリー倶楽部で第1回の関東学生ゴルフ選手権を開催した。
この競技には慶應義塾、早稲田、高千穂高商、帝大、旧制浦和高、法政、学習院の各校からの参加者があり、学習院の木場貞輝が初のチャンピオンになった。
一方、関西の学生からこの組織に参画を希望する声があがり、翌1936(昭和11)年に関東学生の名称を全日本と改めた。しかし、日本は戦時色が強まり、舶来色の濃いスポーツはことごとく禁止され、兵役に服す学生が多く、戦前の学生ゴルフは短命だった。
《写真・連盟創立以前の1932年に行われた慶應、帝大、法政3大学対抗マッチ。右端は法政野球部のエースとして活躍した若林忠志。ゴルフ部でもエースだった》
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