| (6)近衞文隆さんの無言の帰国 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2020/11/20)

内閣総理大臣近衛文麿公のご長男・文隆さんは1931(昭和6)年、16歳の若さで日本のゴルフ界に彗星のごとく現れ、大物ぶりを発揮して日本アマ選手権や東西対抗戦の活躍で大きな話題になった。だが、ゴルフの環境は文隆少年には利あらずで、アメリカ留学から帰国後、総理大臣の秘書官として分刻みの忙しさだったといわれた。そのうっぷん晴らしがプロへの挑戦だった。当時、交流が深かった原田盛治さんは東大に進学して、日本アマのチャンピオンになっている。近衛文隆さんにとっては羨ましいの一言だったろう。
近衛文隆さんは総理大臣の秘書官となってやがて上海に渡り、日本陸軍の将校として兵役に服した。だが終戦となり、戦犯としてソ連軍に連行されてしばらく行方不明と伝えられたが1956年にイワノボの捕虜収容所で病死が発表された。

死後、こんなひと幕があった。1958年のこと。第1回の世界アマチュアチーム選手権がスコットランドで開催され、日本チームは野村駿吉JGA副会長を団長に出場した。チームはロンドン発の飛行機で帰国したが、この便には奇しくも近衛文隆さんの遺骨が乗り合わせた。遺骨は正子夫人に抱きかかえられて無言の帰国だった。偶然とはいえ、日本チームと同道で母国の地を踏むとは・・・。
《写真・(上右)文隆さんが満州に出かける際に撮影/(下左)近衛文隆氏:左端》
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